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【書籍】シャルル・ボードレール 【現代性(モデルニテ)の成立】
阿部良雄氏によるボードレール「モデルニテの成立」についての論考。後から再読する可能性も考慮して基本的に書籍は購入してきたのだが、さすがに値段が張りすぎたので、近くの図書館にて借りてきた。
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「モダン」や「モダニズム」という用語が想起させるものは、日本において1920-30年代における文学・芸術・生活を指すのが一般的である。
ボードレールが「現代性(modernite’)」という用語を用いたのは1863年「フィガロ」紙に発表した「現代生活の画家」と題する評論の第4章「現代性」と題された1回限りであった。
G氏(コンスタンタン・ギース)を論ずるにあたり、『G氏は「何を索めるのか?』を問い立てていた。
彼が索めるあの何ものかを、現代性と名づけることを許していただきたい(p11)
一方、テオフィール・ゴーティエは1858年、既に「現代性(モデルニテ)」という用語を提示しており、ボードレールはこれを「意識していたのに違いない(p24)」と阿部氏はみている。
いずれにせよ、表象の対象の直接的現前をも、表象手段そのものの物質性をも回避しないところにのみ「現代性(モデルニテ)」は成立する。(p31)
G氏の絵画を説明する場合において、『表象を通じて「現代性(モデルニテ)」に他ならぬ「何ものか」が表象されているか否か(p33)』が描かれており、その「何ものか」には、少なくともG氏が実際に目にしたこと、すなわちそのときに見たという「現在」が内在している。
現代性(モデルニテ)とは、一時的なもの、うつろい易いもの、偶発的なもので、これが芸術の半分をなし、他の部分が、永遠のもの、不易なものである。(p35)全集Ⅳ 150頁
あくまで、「現代性(モデルニテ)」という用語は「現代生活の画家」においてのみ使用されており、画家が自らの目で見たこと=現在から抽出したものが表象していなければならない。
「現代性(モデルニテ)」は時代区分における近代(モダニズム)ではなく、どちらかというと「同時代性」の意味合いが強い。
そのため、「ボードレールの論旨を正確に認識しようとする限り、modernite’の語を、西欧的文明社会の歴史のある時点において成り立った(成り立つべき)政治的、制度的、あるいは道徳的なある段階(成熟度)を指示する語として用いることは、論外である(p40)」と阿部氏は指摘している。
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「モダニズム」という用語、何気なく使ってしまっているが、語源は思っていた内容と異なっていた。しかし言葉は本来持つ意味が、時代とともに変化し、現代語訳としての意味が市民権を得ればそれは、現代的な意味を指す言葉となることも、肝に銘じて。
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