【書籍】アセンブリ
アメリカの哲学者ジュディス・バトラーによる本書。院の同級生がバトラーの本書を参考に、写真における不安定性と行為遂行性についてを考察した論文を書いていたため、ざっくりとは把握しているのだが、のちに引用するかも、なことを見据えて、さらっと読み進めておく。
「アセンブリ」とは訳者の佐藤嘉幸氏が解説で記載しているように、孫引きではあるが以下にとどめておく。
なお、本書でキーとなるのは、「不安定性」(プリカリティ)と「行為遂行性」(パフォーマティビティ)である。
不安定性については以下の通り。
不安定性が生まれたのは新自由主義的資本主義によるものであり、その結果、人々に病気、貧困などといった「可傷性(ヴァルネラビリティ)」を作り出しているとバトラーは指摘している。
そして、経済活動だけではなく、マイノリティ(社会的弱者)と位置付けられるLGBTといったジェンダーの問題に対しても、不安定性はみてとれる。
このことから、不安定性とは心理的な事象ではなく、社会的弱者を「集合」させること、すなわち社会的強者との二項対立によって成立する社会的地位が不安定な存在を指しているといえよう。
なお、心理的「不安」においては、「insecurity」もしくは「anxiety」が用いられるため、あくまで本書において「precarity」は社会学的な不安定性として取り上げられている。不安定な(属)性、がプリカリティに当たるのであろう。
一方で、行為遂行性(パフォーマティビティ)は以下の通りである。
たとえば集合、すなわち「集まる」という「行為」そのものに意味があり、言語的な行為において「行為遂行性」は寄与しない、というものである。
集会やデモといった集まりに対して「集合する」という行為性が可視化される一方で、そこに集まる人々の思想や言論といった言語的なものは必ずしも統一されているわけではないことを指摘している。すなわち、言語的行為ではなく、集合するという行為遂行性によって、数の力によって無言の訴えを行っている、とみてとれよう。
本書におけるバトラーの目的は、マイノリティやLGBTなどといった社会的弱者を政治学(社会学)的にどのようにして救うこと(もしくは、社会的に認知させること)ができるのか、しいては自由を獲得できるのかということについて、集合(集会)ー不安定性ー行為遂行性の関係性から展開している(というか、このことについて延々と語っている)、と私は読み取った。これは、バトラー自身がレズビアンを公表しているとの記載をみたとき、妙に納得した部分ではある。
なお、ジェンダーについてどうこういうつもりはないが、多様性や平等というまやかしの呪文によって、差別と区別とが混同され、その結果現在のカオスな現状を招いていると、私は思っている。
区別は「distinction」。比較するものが存在し、AとBとを「分ける」意味で用いられている。一方で差別は「discrimination」。特定のものを「除外」するようなニュアンスで用いられている。対象となるのは、なんらかの不利益を被る可能性があるものがそれに該当する。
分けることと、除くこと。その意味を改めて考える必要があるのだと思う。
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