マダムたちよ、永遠なれ
Liberté, Égalité, Fraternité
(自由、平等、博愛)
フランス革命時に作られ、今もフランスの背骨となっている標語。けれど、私はここにもう一つ加えたい。Liberté, Égalité, Fraternité, Madame、と。そう、マダムたちを付け加えたいのだ。だって彼女たちは本当にイケてるから。
以前、マーマレードを渡してくれたマダム(正統派マダムの場合参照)の話はしてしまったけど、他にも私が出会ったマダムたちの話をしたい。
マダムとの出会い
そもそも最初の"マダム"とのエンカウントは5歳の頃。幼稚園の年少で英語圏に引っ越し、そこで入った幼稚園で出会ったのが最初。そこでは曜日ごとに違うアクティビティがあり、水曜日はマダムがやってくるフランス語の日だった。当時はマダムが女性を指す語とも知らずに、この素敵なおばちゃんの名前はマダムなんだな、程度に思っていた。
マダムとのレッスンは何十回もあったはずなのに、物事は昔になればなるほど、それを複数回の出来事としてではなく、大きな一つの出来事としてしか思い出せないような気がする。それぞれのレッスンの区切りがぼやっと曖昧になってしまって、残念なことにマダムとのレッスンは1-2回だったかのようにしか覚えていない。
さて、水曜日。他の園児たちと円になって座り、マダムを待つ。マダムが座る場所には椅子がおいてあり、彼女が座ることによって円が完成する。
青のスカートスーツ、スカーフを首元に巻き、フューシャ色のリップを引いたこげ茶のショートカットのマダム。颯爽と教室に入って来て、椅子に座る。黒いハンドバッグを足元に起き、円をぐるっと見渡す。
”ボンジュールみんな”、というと、”ボンジュールマダム”と子どもたちが返す。レッスンではフランス語の言い回しや童謡を学んだ。”フレール・ジャック”という、日本の童謡「グーチョキパーでなにつくろう」と全く同じメロディーのフランス童謡が特に印象的で、”フレール・ジャック”がうまく言えなくて”ふれおーじゃっこ ふれおーじゃっこ”と歌っていた。
興味のある人は0:30あたりからどうぞ。
ある時マダムの横に座ると、香水の香りがした。特定の場所やご飯の匂いには慣れていたけど、今まで嗅いだことのあった香りとは全く違っていて、
人って匂いがするんだ、と幼心に衝撃を受けたのを覚えている。
歌の最中にマダムと手をつなぐとその香りが手に残り、家に帰るまでその香りが続いた。それが楽しくて、マダムと手をつなげるように、あえて椅子の横に座ったような気がする。
最後はオヴォワールみんな、とマダムが言い、オヴォワール マダムと挨拶をしてお別れをする。
幼少体験は強烈に残る。今思えばこれがマダムの原体験。颯爽としていて、お洋服もメイクも髪型も決めていて、これがマダム!!と脳のしわの間に深く刷り込まれたのだろう。
正統派マダムの場合
詳しくは下のnoteを読んでほしいが、彼女(当時既に75歳ぐらい?)の祖母の代から生まれも育ちにパリという生粋のパリジャンヌの家にairbnbでステイした時の話はこちらから。
妖精系マダムの場合
また別の機会にパリを訪れた時のairbnbのホストをしてくれたのは舞台監督をしているマダムだった。彼女は細身で可憐で、いうなら妖精系マダム。
会って数分の自己紹介で「夫の方が若いのよ。若い男性がが好きなの」と俳優業をしている夫の方を見ながら茶目っ気100%の笑顔で言っちゃう。見てるこっちがキュンとする。
*
人と食べる朝ごはんが好きで、airbnbでは可能な限り家人と朝食をいただくようにしている。妖精系マダム(以降、マダムC)の朝食のテーブルにはクロワッサン、ジュース、コーヒー、ヨーグルトが並ぶ。朝のクロワッサンを買いに行くのは彼の仕事なの、と英語で言った後、彼の方を見てフランス語でちらっと話す。3人で話す時は英語なのに、夫婦で話す時はフランス語に切り替わる。
私だったら第3者がいる時に2人しか分からない言語は気を使って話さないのに、それをさらりとやってのけるマダムC。目の前が急にフランス映画の1シーンのように見えてドキドキする(単純w)。
そしてふと英語に戻り「夫はね、少し子供っぽくて・・・くすぐって朝起こしてくることもあるのよ。あなたのお父さんはそういうことするかしら?」フランス語で話してたと思ったらそんな話を私につっこんでくる!
なんて自由…
「残念だけど私の父はそういうことしなくて・・」と答える典型的な日本人男性を父親に持った私。「そう」と少しつまらなさそうなマダムC。
このコロコロ変わる言語や雰囲気は一体なんなんだ。ずるい。フランス語の魔法なのか、妖精の魔法なのか。もしかして、相手に過剰に気を使わない、という単純なことだったりするのか。
*
彼女の家にあったもの。1650年に印刷された本。18世紀に作られたタンス。その中にあるテーブルリネンやシルバーウェア、コットン100%のネグリジェ。そのコレクションを見て、「どうしてパリの人たちはアンティークが好きなの?」と思わず尋ねた。
「昔に作られたものはモノが良いから。今じゃここまでの品質のもの作れないし、アレルギーとかも出ないしね。欲しかったら言って、タダではないけど売ることはできるから」
古いから好き、とかじゃなくて自分の中にちゃんとした理由があって好きなのはいいな、と思った。
私が好んでよく聞く質問。「いつからパリに住んでるの?」
「生まれたときからずっとよ」と答えるマダムC。
「ここを出ていこうと思ったことは?」
「ないわ」と間髪いれずに彼女は答えた。
私が今住んでる街は生まれた街じゃないし、だからと言って今住んでる街にもそこまで思い入れがない私は少し羨ましかった。即答できるほど、自分の根を張って生きていく場所を持っていることに。自分のいる街が自分に一番合っていると断言できることに。
彼女達にとってパリはやはり特別な街。
つまりマダムとは
全身シャネルにファンキーな帽子を被られているマダム*もいたし、朝11時から友人と二人でLadureでステーキとフライを頬張る胃袋つよつよマダム(二人共御年70はなっているはずなのに…)も見かけたりもした。
混雑したカフェでランチをしている若そうな男性たちから席を譲ってもらうマダム、明らかに赤信号なのに堂々と渡るマダム(止まっている車に乗っていた男性ですらも、マダムどうぞ渡ってくださいと言わんばかりに窓からにこりとした顔で身を乗り出してる)、色んなマダムたち。
たまたまなのかもしれないが、私が彼女たちに目を止めたその瞬間ですら、みんなそろって潔いというか、清々しているというか、自由。
きっとマダムになるということは選択なのだと思う。パリを、フランスを背負うという選択。もちろん、そうじゃない女性たちもいると思う。肩で風を切って歩くより、優しい風にあたる道を選んだ女性たちも。でもマダムとなった(ように見える)人たちは自分の道をしっかり持って、自由を謳歌し心のままに生きている。
永遠に私の憧れの存在。
私もいつの日か、なれるかしら?
最後にマダムの写真を。フランスの大女優というとカトリーヌ・ドヌーブを想像するかもしれないが、あえてジャンヌ・モローを。
いやぁ、かっこいい。
マダムたちよ、永遠なれ。
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