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なんかさぁ

いやそれぞれの役割があるのかもしれないけど
それでいいのかもしれないけどさ

というできごとがあったから吐き出す。

年頃の息子
わたしは、言葉選び、声をかけるタイミング、
いろいろ頭を使って接している
気を遣っていると言われたらそれまでなのかもしれないし
子どもを甘やかしていると言われたらそうなのかもしれない
でも 難しい年頃で、
些細な事でストレスがたまったり
親が知らない事で嫌な思いをしている事も
あるのかもしれない
自殺 自傷 そんな事には絶対なってほしくない
何がスイッチになるかわからないし
この時代、そういう恐れもどこかにあるのも事実

だからというわけではないが
年頃の子で悩みもいろいろあるだろうから
進学のことも友達のことも恋のことも
あまり干渉しないように努めてる
気にかけているし 大事に思ってる
それと干渉していいことはイコールではない
過ちだけは起こさないように大事なことは伝えて来たし
今も都度必要な時に伝えているつもりではいる

対して 夫は。
彼のストレスになることに気を配らない。
言葉選びに注力しない。
父親なんてそんなもの?
母親が相反するところにいれば、それでいい?
それも必要なこと?
社会に出ればいろんな人がいて
ストレスを容赦なく生み出して来る人も環境も
想像以上にある
そのための予行練習?
父親と息子という関係は、そんなもん?
母が逃げ場になっていたら、それで良いの?
悩ましい。

荒れている息子。
明らかに夫とのやりとりで何かあった様子。
「ストレスだわ…」と私に漏らした息子は
今がんばっているいろんなことを
投げ出したくさえなってしまっている。

はぁ。余計な事してくれるな。
という思いと、
嫌な人はいるよ、とどこか開き直って
母が労わってやれたら それでいいのかな。

休日の朝、夫への苛立ちと、子の成長を思い、
朝ごはんが進むわ〜。(ご飯2膳完食。)

出かけよう。よい日曜日を。