2023.1.26
こういうことを書いてやろう、という下心から解放されたい。
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とある授業で海に来た。ざっくり言うと、海と人間の関係性をいろんな方向から考えてみるといういかにもサンタクルーズらしい授業だ。
海のそばにいて感じたことを話してみるという時間。
誰かが挙手して話を始める。どうにかこうにか身体をそっちに向けて耳を澄ます。小さい頃に海が怖いと思った記憶があったけど、今海に思いっきり入ってみて恐怖心が薄れた気がする、という話をしていた気がする。その後も何人かが話していたけど、内容はほとんど入ってこず英語が表面を滑っていく。
私が言いたいことを伝えるのに、どういう英語を使えばいいのかよくわからなかった。英語の形をしたスコップでどうくりぬけば、「この感じ」が伝わるんだろう。とりあえず日本語と同じようにみたものとか感じたー匂ったものとか聞いたものを描写してみようとはする。塩の匂いが浜辺に近づくほどにどんどん濃くなっていったこと、海の表面の波のリズムが実は一定じゃなかったこと、浅瀬にも深さがあってそこで小さい小さい砂の粒が動いていたこと、手に波が当たって予想していなかった音が生まれて波のリズムの中に入れたような気がしたこと。波と一緒にもぞもぞ足を動かし土をぐーっと押して押し返されるあの感覚は、fluidでもsolidでもない。でも私は他の表現がわからない。これほどまでに切実に、絵が描ける人間に生まれたかったと思ったことはなかった。ペアの子も、ふーん、という反応だ。その子は、felt calm while seeing the flow というような言葉を使っていた。あと、他の人がkelpとかを拾っているのを見て、考えたことなかったからいいなと思った、と話してくれた。やっぱり同じ空間にいて同じように何かを考えていても、当たり前だけど何をみるかは人によって違うもんだなと改めて思ったもんだ。でも私は意地悪なので、それって本当にcalmで括れる経験だったのか?と聞きたくなってしまう。一つ思うのは、そもそも何か感じたことを話す、ということの指す意味が私と彼女では違っていたという可能性があるなということ。私にとって、感じたことを話すというのは私の身体が受け取っているものを一つ一つ探って吟味し整理する作業で、強いて言えば状態をそのまま細かく記述しようとすることだと言えるんだろう。そして私はその作業に人一倍時間をかけたがるようになったから、calmとかchillingとか、すぐに一つの言葉を使って名前をつけることをしたくなかったんだろう。彼女にとって感じたことを話すというのは、その経験を通して何を感情として持ったのかについて話すということだったのかもしれない。友達から日本語は状態を描写するのに適した言語らしいと聞いた話を思い出す。全てが英語と日本語の違いに起因するとは思わないけど、私がずれているだけという可能性はもちろんあるけど、でも、「感じる」”feel”ことはある意味無意識を意識に置き換えていく作業だから、そこへの態度が言語と関係していると考えることは自然なことのように思う。
そんなことをぼーっと考えトリップしていたら最後に話したい人いるかい?と先生が聞いていた。なんか頭の中で英語と日本語がぼやぼやしてまとまってなくて、とてもじゃないが人前で話すのは気分じゃないやと思っていた。どうせ話すならまとまったこと言いたいし?ちょっと違った角度からもの言いたいじゃないですか。とか思ってたらMaki?と振られてしまった。もしかしたら話したい顔をしてたのかもしれない。とりあえず何からどう話せばいいかよくわからずにぐるぐるしているということと、しゃがんで見てたら波打ち際にも少しの深さがあってそのちょっとした水の中で砂つぶが動いていることに気づいたんだと話した。自分でも何を話すのかよくわかっていない状態でとりあえずつっかえつっかえ話始めたから、口をついて出てきた言葉は新鮮だった。他にも呼吸や踊りのこととか頭の中にはあったけど、いざ話したのは、視覚として印象に残った映像を描写するような話だった。へえー。
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リズムを覚えようとする。
片足が前に出る、波の音が聞こえてそれに合わせて後ろ足が前足を追い越す、体重が砂の上を微かに上下しながら波に向かって動いていく。目を瞑る。白くて熱いギラギラが右瞼の裏にある。左に向かってどんどん暗く黒くなっていく。耳から入る波に合わせて息を吐く、吸う、吐く。留める。息が足と連動し始める。目を開けて耳を塞ぐ。水面に光が反射している。日が西に落ちていく。身体の奥から波がやってくる、重さが喉元まで迫る、吐き出す。波は引いたと思えばまた轟々と重さのある音を立てて近づいてくる。その重さを流れのままに腕に乗せ、筆を動かす。太くなって細くなって、微妙な濃淡が光に照らされて顕になる。ああそうか、筆で何かをかくことはリズムを覚えておくための実験の一つだったんだと勝手に合点する。塞いだ耳越しに微かに音が入ってくる。ざああああああ、に混じって、ぴーっぴーっと何かの機械の音がきこえる。どちらもお互いに合わせる気はないから、両方聴こえてしまった私の中でリズムは崩れていく。お互いに待つ気は無いのだ。どっかの天才よ、リズムを汲み取りながら存在できるテクノロジーを生み出してくれ。
リズムを思い出そうとする。
息を少し吐いてから、吸う、吐く、吸う、吐く。波の長さが身体の中に現れてくる。吸う、すると、周りの空気が鼻の穴に取り込まれる、穴にびっしり生えた鼻毛が風を感じている、微かに冷たい、草の匂い。身体の奥に向かってぬるくなっていく。またあったかいのが身体から放たれて周りに溶け込んでいく。ながーくながーく。息に合わせて足は動く。波は身体の奥から全方向に伝播して、太ももをなぞりふくらはぎの裏を通り足の裏まで届いていく。リズムを忘れないように、壊さないように、慎重に足を地面から離し、伝わる重さをコントロールしながら着地する。じっくりと、進む。なるほど、海の踊りはこうして生まれるのだろう。起源を体得した気がして少し気持ちが良くなり、次はもっと意識的に息に合わせて腕を動かし始めた。
呼び込む。留める。想像の中に身体を置いてみる。
息を吸ったり吐いたりすることを呼吸という理由がなんとなくわかった気がした1日だった。