母の不幸は自分のせいだと思っていた高校時代
娘が大好きな料理をおかわりするときに
「好きだけ食べて♪」
と言えない私↓
記事を書きながら、自分に根深いブリーフ(信念)があることに気がつきました。
食べ過ぎは不幸の象徴?
「食べ過ぎは身体によくない」
「食べたいだけ食べるなんてダメ」
というブリーフを私が持ったのは、高校時代。
引越しを機に友人たちのコミュニティからはぐれた(ように見えた)母が、どんどん太っていったのが、嫌だったんです。
私は母にひどいことを言っていました。
「まだ食べるの?食べ過ぎじゃない?」
「またビール飲むの?毎日飲むの、辞めたら?」
なんて。
当時は無意識でしたけれど、こうした私の暴言の背後にあったのは次のようなロジックでした。
家にいない・家事をしない娘(私)
↓
家事をするのは母だけ
↓
母がストレスを感じる
↓
ストレス解消のために母が食べすぎ・飲み過ぎる
↓
母が太る
太っていく母を見ると、自分が母を不幸にしているように感じていたのです。
苛立ちの素になっていたのは、「私には価値がない」というブリーフ
当時の私の日記には、自分への苛立ちに加えて、父への文句も綴られています。
・父が仕事に邁進できるのは母のおかげなのに、父は勝手なことばかり
(家事は一切手伝わない、休日は自分のためだけに時間を遣う父でした)
・往復3時間の通学と部活動で家にいない私だって、母を手伝っていない
=私も父と同じことをしている
➡︎ 母の家族が私たちでなかったら、母はもっと幸せだったのでは?
私は私なりにがんばっているつもりなのに、母が幸せそうに見えない。
「ストレス太り=幸せではないせい」と思いこんでいました。
「父が悪い」とジャッジし、「私も父同様にひどい」と自分を責め、「どうしてうまくいかないの?」という苛立ちを母にぶつけていました。
「母を幸せにできない私には価値がない」
というブリーフ(信念)があることに、気づかなかったんです。
自己肯定感が低いにも関わらず、幼いころから優等生然として人からの期待に応えることをデフォルトにしていた私は、知らず知らず生きづらさを抱えていました。
40代半ばで心がポキンと折れたと感じるような状況におちいって、やっと気がついたのです。
「私には価値がない」
なんて幻想だということに。
それ以来、私は認知の偏りをなくすトレーニングを重ね、ネガティブな感情を昇華することで、生きづらさが解消されました。
生きやすくなってからも残っていたもの
今の私は、ぽっちゃりした母の容姿が大好きです。
〈料理は愛〉を体現している姿だと思っているからです。
それなのに!
「好きなだけ食べて♪」
と娘が喜ぶことを口に言えないなんて。
私としたことが!
ただ食いしんぼうなだけではなく、〈大切な人を不幸にする自分〉というとんでもないセルフ・イメージを握りしてめていたのですね……
でも、大丈夫!
気づけたんだから、手放せます。
「好きなだけ食べて♪」
そう笑顔で言える自分になります。
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御影石 千夏
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