毎日noteを綴るのは、自転車操業なのか問題
記事をストックすることがほとんどないまま、毎日noteを続けること1年4ヶ月になる私。
お正月、久しぶりに帰ってきた息子に言われました。
毎日書くと決めてるのに、なぜ記事を書きためていないのか、と。
(↑これを言われるのは2回目^^;)
「俺には『自転車操業』を卒業するようにいつも言ってたやん、笑」
「えー!?宿題を提出前日に必死でやってた〇〇くんの『自転車操業』とは違うんじゃない?」
2人して大笑い。
「 have to の宿題じゃなくて、毎日 want to で楽しんで書いてるよ」
と言う私に、
「それにしたって、ストックを1-2本は用意してしかるべきじゃない?」
と息子。
うーん、それはそう……なのかな。
ストックなしに 毎日noteを続けるのは、「ギリギリの資金繰りに陥っている経営状態」になるのかしら?
↑こうして辞書的な意味を調べてみると、宿題を提出ギリギリに仕上げることを『自転車操業』と呼ぶのも、おかしいのかも。
長期休みのたびに同じことを繰り返す息子に、
「そろそろ計画的に宿題をやるようにしてみたら?」
と私が言うと、
「なんとかできてるからいいねん」
と返されたので、『自転車操業』と表現したんですよね、私。
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公文式のプリントバトルでギャーギャー言っていたころに比べて、自分自身の成長を感じるお正月でした。
(ストックなしを指摘されたのは2回目ですが)
<おまけ>
私が『自転車操業』と茶化して言えるようになったのは、別居のおかげだったりします。
物理的な距離とおいたことで、私の心に余裕が生まれました。
こんなふうに息子と笑える日が来るなんて、別居当初は思いもよりませんでしたけれど、ね。
どんな経験にも、プラスとマイナスが同じだけあります♪
私の毎日ギリギリセーフnoteも(今夜も締切1時間を切っている、笑)、息子のギリギリセーフ宿題提出にも、プラスがありますね。
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御影石 千夏
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