最近、ちゃんと生活をしてなかった
最近、ちゃんと生活をしてなかった。
遊んだり、お仕事したり、遠くへ出かけたり出かけなかったりはしていたけど、それよりもっと根っこの部分の、なんとなくむずかしそうな説明でよく出てくるようなピラミッドでいういちばん底の広いところ(つまりいちばん大切ということ)にあるはずの「生活」を疎かにしていた気がする。
忙しくても寝坊しても朝ごはんを毎日きちんと食べるとか、早寝早起きをするとか、眠いときにはちゃんと寝るとか、疲れて帰ってきてもそのままお布団に倒れ込まないとか、部屋を片付けるとか、体調管理をしっかりするとか、温泉や湯船にゆっくり浸かるとか、時々歩いたり走ったりするとか、自分の口に入るものはちゃんと自分で作るとか、ふわふわのパン生地に癒されるとか、ゆっくり読書したりnoteを読んだり映画や溜まってる録画を観たりする時間を作るとか、1日を振り返ったりその日考えたことを言葉にするとか。もうちょっと余裕があったら家族のためになにかするとか、お友達のお誕生日をお祝いするとか、とか、言い出したらきりがない。
最近はただただ生きることに精一杯で、それを言い訳に、呼吸の次くらいに大切ないろんなことを蔑ろにしてしまっていたな、とここ数か月を振り返って反省した。
生活を整えること、身の回りの環境を整えることは暮らしを整えることだと思うし、まわりの人を大切にすることは自分自身の人生も豊かに幸せにすることに繋がる気がする(気がするというか、絶対そう)。これはいつも思ってることだけど、時々忘れてしまうので気をつけないといけない。
そして、その土台(ピラミッドのいちばん底)がちゃんとできてないと、飛び級してほかのことをいろいろがんばってみてもなんかうまくいかない気がするんだよなあ。最近のうまくいかなさもきっとそれが原因。
まわりの人たちや自分を大切にしながら1日1日を丁寧に過ごすことが、毎日にこにこ、ごきげんに生きるための第一歩なのだと思う。
この例えが合っているかはわからないけど、どんなにいい種や苗を植えたとしても、土がよくなかったり、お水や肥料をあげることをサボってしまっては、おいしい野菜や立派な木は育たない。
しっかり土地を耕して、お水も肥料も目一杯あげて、大きな大きな愛を持って育てていきたい。そうして育った野菜はどんな味がするのか、木にはどんな実がなるのか、密かに楽しみにしながら、いまをきちんと見つめて今日という日を大切に過ごしていけたらいい。
あまり深く考えずにつらつらと書いていたら、なんだか日記帳みたいな仕上がりのnoteになってしまった。久しぶりなので許してください。
今日も読んでくれてありがとうございます。
おやすみなさい。
よい夏を〜〜
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