向くとか向かないとか
このごろ私はよく悩む。考える、じゃなく悩む。うじうじして嫌になって鬱々とする。現実感が少し薄くて、何だか普段より食事がおいしくない。微熱が出る。呼吸が浅く、手が震える気がする。これはこころがやられているときの私のサインだ。
まだどうにか、体調を建て直せるくらいではある。でも、大丈夫!ってやたらと言い始めたら注意。親にも言われたし、自分でもそれは重々分かっているつもり。つもりだ。
今回のタイトルにした、向くとか向かないとか。思い返せば今までの27年間、これで悩んで転んで、こころもからだも満身創痍だ。
前提として、私はこういう考え方だ。
物事には嫌な面だけじゃない、どこかいいところないかな、と思う。心底嫌になってもそれはそうで、人に対しても物事に対しても、そうやってある程度探しながら続けたいタイプだ。
しかしながらわたしを評価したい人からしたら、やる気がないように見えて、かつマイペースでどんくさいらしい。知らんがな。
それに痺れを切らした短気な人に「あなたには向かないよ」とか「だめだね」と言われる。そういうことを言ってくる人に限って、深い関わりはそんなにないし、こちらを理解する気は微塵もない。
mind your business ! と私の中の反骨精神が叫ぶ。
自分以外の、どちらかというと馬が合わない人間にああだこうだ決められるのが本当にきらいだ。深く関わっている人は、今までの経験上決めつけることは言わないような。言わない優しさという訳でもないようなそんな感じだ。距離感も言葉も大事だ。
反骨精神と頑固な性格が災いして(?)功を奏して(?)どうにも辛くても、そういう人たちに何か言われたから、と諦めるあきらめがつかなかった。きっかけが掴めない。部活もやめようと思った、作業療法士になることもやめようと思った。でも、ここで浮かぶ考えがひとつ。
今までやればできたし。多少こころからだやられるだろうけど。いいよね。
よくない。多少じゃ済まない。でも、なんだか私らしいとすら思える。
長くなってきたからまとめるね。
向くとか向かないとか、そんなことは関係ない。好きか嫌いか、心が動くか動かないか、それで決めたい。読んでくださったあなたはどう思うのかな。何かで反応がわかるといいのだけど。