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目利きがいるー防衛能力で築く砦

私は絵を教えているし、描いてもいる。だけど、実際は絵を見る力のほうが強いんじゃないかなという気がして、こうしてあれこれ書き出した。

絵を見られる人、絵の目利きってことにするけど、子供のころからそのような素養があった場合、彼らはどこに属しやすいかと言えば美術部なんだと思う。
だけど、見る力と描く力ってそれぞれ全く違う専門分野。
私は描いてるし、描くことを教えているし、人の描いた絵を解析するから、それぞれが全部違う作業だとわかる。

見る力を育てようと思っても社会の中に受け皿がないし、育てたところで自分で絵を楽しむくらいしか使いようがない。

それで、目利きを育てる環境がなくて何が起きるかというと、とても鋭い目利きの力があったとしても、一般社会でその力は無用の長物。人の創作に対して厳しすぎる自分が嫌になり、寛大にならねばとキャパを広げようとする。やるべきは良きものと判断した創作物の解析で、感覚という曖昧なものをきちんと納得できるまで追求して誰に何を言われても揺るがないところまで腹落ちすることだけど、歳とともに目利き力がかげってしまっていることがままある。

今までにも何人もそのような人たちに出会ってきた。

目利きだけど所属が描き手側ならば、自分はそんなに大した絵を描けないのにという比較でも目利き力はかげる。
描く力と絵の目利き力はまるで違うもので、選手と審判のように立場の違いがあるけど、同じ土俵で考えてしまうと目利き力は力を失ってしまう。

評価できる人がいなければ、描き手の才能も埋もれるばかりだ。

このような人々に出会って話すごとに、とある傾向を発見した。眠っている力を覚醒させるヒントになればと思うので書いておこうと思う。

目利き力は防御力に通じている。詳しくはまた別の機会に書くけど、このことは非常に大事なファクターで、目利きの人にとって家は聖域。防御を固めた場所。
だから目利きの力が強い人がたとえ誰かの絵を褒めたとしても、「ではこの絵をあなたの家に飾りたいか?」と聞くと、とたんにうぐぐとなる。
家に自分を安心させる物以外を置きたがらない、これが目利きかどうかを見極める大事なヒント。
もうひとつは、選んで家に入れた物をずっと好きだということもセットだと概ね目利き力が強い人だと言える。もちろん絶対ではないんだけど。
好きな物がずっと変わらない、これは、物の中にとある普遍的な共通項を見出しているから起こること。できない人は買った物に飽きる。自分を安心させる共通項を発見していないから。
自分のおめがねに叶う普遍的な共通項を発見してるかしてないかが、家の守りをかためられるかどうかのボーダーラインを形成する。
体感は安心感。

余談だけど、物と人は通じているので、上記のように防御力が高い人は結婚相手を間違えにくいという傾向がある。彼氏彼女はもう少し基準がゆるいようだけど、結婚となると家にいる人だから。家に入れられるかどうかが、本当に重要なポイントというわけ。

目利き力と防御の関係が深いので、目利きが力を発揮するチャンスのない社会は防御力が低いと私は思っている。

だから臆せず書いていこうかなって思い始めたとこ。

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