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感覚の根っこ

30年ぶりにUターンで生まれたところに戻ってきて、何度か郷愁めいた思い出話を書いた。 味覚をはじめ、生活に使う主たる感覚は郷土に紐付いているんだなと、帰って暮らしてみて改めて感じる。 東京で暮らして、30年もいたからあらゆることに慣れたし、郷土の味や風土を求める気持ちも薄らいていたから、戻ってきて感じるこのストライク感に驚いている。 ちょっと話が逸れるけど、有名なスターの2世が取り沙汰されることがあるけど、そのスターに求めることが明確であればあるほど、「似ていること」が逆

    • 200円ラーメンと西駅のミスド

      高校時代、帰り道ってめっちゃお腹空いてた。美術部で運動とは無縁だったのに、基礎代謝とは恐ろしい。生きてるだけでお腹空く時代。 学校の帰り道、友達とバイバイする前に何か食べるとしたら200円ラーメンとミスタードーナツが多かった。 200円ラーメンとは当時(1990年代)鹿児島県でチェーン店だったラーメン屋で、本当に200円でラーメンが食べられた。食べ盛りの私たちにはありがたい店だった。インフレ時代に突入したから余計に信じられない値段に感じる。 寄り道する駅は、今では鹿児島

      • ノスタル原風景ー山形屋と市電と山も

        昭和に鹿児島で生まれて、山形屋に連れてかれたことがある子供、たくさんいると思う。 お母さんがいつもと違う服を着て、子供もちょっといい服を着て、わくわくしながら出かけるところ。 山形屋はそんなとこ。 私は昨年、東京から30年ぶりに鹿児島に戻ってきた。いわゆるUターン組。 鹿児島に不慣れな福岡出身の夫と、18までしかいなかったから地元とは言え鹿児島に詳しくない私。これから暮らす街を知るため、戻ってきてから2人でしょっちゅう街歩きをした。 鹿児島に戻ってすぐ、あ〜山形屋だーま

        • スペシャル7つ星、スパルタと寛大の双極

          鹿児島県って伝統的に教育熱心なのかな。わかんないけど、私が通ってた小学校はとにかくスパルタだった。 当時(昭和後期)は私も小学生だったし、おかしいとも思わず受け入れていたスパルタシステムが、給食時間に給食を食べ終わらなかったら算数準備室に移動して、食べ終わるまで閉じ込められるってやつ。 机とかないので、おぼんごと運んで床で食べる。 今やったら事件? 学校じゃなくて担任の定めたルール。 ちゃんと食べ終わったか確認するため、同じクラスの子供が扉の向こうで番をしていてズルはできなか

        感覚の根っこ

          デッサン力ってほんとに必要?って話

          私は抽象画を描く画家なんだけど、大人向けの抽象画クラスも運営してる。 絵を教えるのは、今持ってるクラス以前にもやったことがあって、子供向け基礎だったり、マンツーマンでだったりと、ときどき依頼があって。 過去の経験から、もっと絵の基本の構成要素に着目したクラスをやってみたいと思うようになっていた。 受験したいとか言われるとどうしてもデッサンを教えないといけないけど、なんか、これ以外にも大事なことがたくさんあるのになぁってモヤモヤしていた。 プロの絵でも、描かれた絵を眺めてい

          デッサン力ってほんとに必要?って話

          アートは装飾品ー人生の美学は持ち物に現れる

          コレクターと言われる人たちはたいていの場合、空間と絵の関係を知っている。 この人有名なポルシェのコレクター。 ぎぇええかっこいい〜!と叫びそうになるくらいかっこいい家に住んでいて、ポルシェが並ぶ空間は圧巻。そしてやっぱりそこに飾られてる絵も空間にぴったりなものばかり。 この人ポルシェのコレクターになった足がかりはアパレル業だったそうで、服も個性的。 なるほどって思った名言が「もし世間があなたの格好に賛同したのなら、あなたは間違った方向に向かっているのですよ」ですと。 なる

          アートは装飾品ー人生の美学は持ち物に現れる

          自称エド・ルシェ普及委員3

          普及ってもう十分有名だろうって思う人もいるかもしれないエドルシェ。ただ私がファンで語りたいだけとも言う。ついに3。 それはさておき、エドルシェの作品に「POINT BLANK」というのがあって、これ、個人蔵。買える人が羨ましいと思うも、うちだと床に敷くしかないくらい大きい。 個人蔵と知ったのは、ひょんなことがきっかけでした。 私、モデル歩きっていうのが謎に気になるんですよね。美しい歩き方だけど、街中であんなふうに歩く人ってほとんどいないじゃないですか。やることじゃなくて見

          自称エド・ルシェ普及委員3

          自称エド・ルシェ普及委員2

          とある人物の創作物が衝撃とともに世界に受け入れられ、その後常態化するということがたびたびある。 映画で言えばジョージルーカスのスターウォーズの前後、音楽で言えばビートルズの前後とか。 創作物にまつわるピースが切り取られ、機能として採用されたり、装飾として採用されたり、解体されながら世界に普及していき、ジャンルを超えてどこまでも広がっていく。 これは自然現象だ。 冬が来て雪が降り、地表の温度を奪い、秋の風景は終わる。次に到来する秋は、その前の年の秋と同じようでいて同じではない

          自称エド・ルシェ普及委員2

          自称エド・ルシェ普及委員

          一般的にはいいことのように思われている歴史の長さや伝統、継承されてきた文化の踏襲。芸術の世界で活動していると、それらの重みがずっしりと体に圧力をかけていると感じることがある。 みなさんご存知のように日本は歴史が長い国で、自分たちの文化に誇りを持ち、次世代に繋いでいきたいと感じる人の方が多いと思う。そんな国の、保守傾向の強い田舎に生まれた私もまた、歴史や文化の最後尾にいる感覚を持ち合わせたまま、そうだと知らずに絵を描いていた。 大学に入っても絵を描いていた私は、アメリカンポップ

          自称エド・ルシェ普及委員