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自称エド・ルシェ普及委員4
有料マガジンのほうに、名だたる名画の私なりの解釈を書いた。
なるほどねって思った人たちにもう一度エドルシェの絵を見てもらいたい。
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「何をそんなに深刻に考えてるんだ、もっと楽しめよ」
そう言われたみたいな衝撃だった。
これ素だな。
そう感じたし、装ってるなら気が付く。
こういう人が芸術の世界に存在し続けたことも衝撃的だった。まさにアメリカならではという感じがした。
言ってみたらクリントイーストウッドがアート界にいるみたいな感じ。なんというか、そもそもあんまりいないタイプの人。
エドルシェの絵に出会って、人間がいかに深刻なふりをして生きているかに気が付かされた。
深刻さは虚しさと双極を成し、力みと放心、どっちに傾くかでありようは変わる。
その2つから離脱すると、押し殺し、感じられなくなっていた楽しさと遭遇する。
深刻なふりは顔や体に染みついていて、そうでない者に謝罪を要求するような厚かましさがある。私たちはその厚かましさを正義と呼ぶようになってしまったのかもしれない。
今のアメリカはどうかわからないけど、第2次世界大戦が終わってからの世界は、アメリカのエンタメ精神に大いに励まされてきたと思う。
深刻すぎた戦争が終わって、残された人たちが、人生を楽しんでいいのだと思うまでにはかなりな時間がかかっただろうし、悲しみを引きずりながらも、せっかくもらった人生を楽しまずに終われないと行きつ戻りつしながら。
エドルシェはエンタメ超大国をアートした人。混ざり合うことがないエンタメとアートの、限りなく真ん中を行く。真ん中だけど、アート。エンタメのように誰にでも楽しめるものという間口の広さはないけど、アート界隈でガチガチになってしまった人が驚愕するくらい「絵のむこう側」がない。
人生の重みを感じさせないすごさ、それを有料記事の名画の解説と比較するとわかってもらえるかと思う。
エドルシェの絵を眺めて、自分の中にひとかたまりになった、深刻な人の隣で楽しく笑っていてはいけないという禁止事項に気が付いて、私の人生はそれ以前と以降ですっかり変わってしまった。
だからエドルシェはすごい。
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