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奇跡講座ワークブックレッスン/18.19.20.21

レッスン18
私の見方がもたらす結果を体験するのは、
私ひとりではない。

【私の記録】
心と心はつながっているから、100匹目の猿のような現象がある訳だ。相互に影響を与え合うのなら、どんな見方をしているのか注意を払わなければと感じた。善き影響を与え合いたいと願います。

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レッスン19
私の考えがもたらす結果を体験するのは、
私ひとりではない。

【私の記録】

私的な考えというものがないというのは事実である。と書いてあります。頭の中でなら何を考えても人に知られることはない、と普通は思います。私は、詳細までは伝わらなくても、なんとなく人が何を考えているのかを感じます。これは特別なことではなく、思考は電流を帯びて自動的に放出されていて、周囲の人がそれをキャッチしているのだと思っています。(個人的な見解ですが)

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レッスン20
私はぜひとも真に見たい。

【私の記録】
ものすごく動揺することがありました。
最近動揺することが続いています。

11/20に本格的に風の時代に入ったので、風の時代に持ち込めないものの精算なのか?

すごく驚いたけど、自分の思考の癖や、理想とする在り方にも気づけたので、感謝と共に手放しました。

そしたら、休む間もなくまた来た!!
今度のは、これはなんなの!!そんなのあんまりだ!!と感じて、自分なりの解釈や意味付けをせずにはいられず、見捨てられ感が半端なく、被害者意識が炸裂しました。

しかし、コースのいうことにゃ、この問題を聖霊に託せば、奇跡にひっくり返してくれるらしい。なので、聖霊に託しました。

そんな時だったので、真に見るのは本当に難しいことだと感じました。

瞑想中に愛と光の感覚に至福を感じても、目を開ければ物質が見え、外に出ればたくさんの人間がいて、目の前の人の言動や出来事に反応し、意味付けをする私がいます。

真に見るとは心眼(ビジョン)で見るということだけど、ビジョンで見ながら実生活を送るというのは並大抵のことではありませんが、「真に見ようとするあなたの決意によって、心眼があなたに与えられる」と書いてあります。

結局、決意の強さなんだと思います。 

こうなると、必要なのはわずかな意欲だけと呼べる領域ではありません。多大なる意欲と不動心が必要になってきます。

奇跡講座を何年続けようと、同じ場所をグルグルしてるだけで上昇出来ないのは、神だけを求める気持ちの強さがないからなのだと思います。

少しの努力しか求められていないとありますが、強い決意が必要だし、ワークブック毎日やるのだって、決して少しの努力とは言い難いものがあります。よくやっているね、偉いねと、自分に言ってあげたいと思いました。

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レッスン21
私はぜひとも別な見方でものごとを見たい。

大小問わず、怒りを感じることを当てはめるレッスンとなっているが、今怒りを感じることってないよなー、とレッスンを避けようとする。

しかも文章には、過去や現在の状況、予想される状況を見つけ出す、そのように書いてある。

文章読んだばかりなのに忘れている。笑える。 
記憶力の悪さと言い逃れたいけど、やりたくないだけなんだ。

今穏やかな状態にいるのに、怒りを思い出したくないのよね、そう思った。

でも、それは表面的な理由だったようだ。

レッスンをやってみて、
相手に怒りを向けることにより、自分の責任を回避できる。状況や誰かのせいにして怒っている内は、自分の惨めさを隠しておけるからなのだと気付き、唖然とする。

惨めさを、私のアイデンティティーだと思ってる。

惨めだと思っていることには気づいていたけど、その惨めさを宝にしていることには気づいてなかった。

そりゃあ、惨めだと思うような現象が起こる訳だ。

心の仕組みって本当に複雑怪奇だ。

こうなってくると、人生で起こる現象は、全部全部全部、私のせいだ。

本当に、ひとつ残らず、すべてが私の責任だ。

どうしよう、明日からどうやって生きていこう。

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お読みくださりありがとうございました。
               Blessings.
















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