【イエス誕生の背景・エッセネ派・ミトラ教】新約聖書・キリスト教の研究-14/#150
イエス・キリストの誕生について考えるとき、クリスマスの定番となる光景が浮かぶ。天使が知らせ、羊飼いが祝福し、東方から賢者たちが黄金、乳香、没薬を持ってやってくる。しかし、これらのシンボリックな物語の背後には、聖書以外の歴史的・文化的な解釈や逸話が存在しており、それらを掘り下げると、少し異なる視点が浮かび上がる。
まず、マリアとはどのような女性だったのか。伝統的には彼女は「神の母」として崇められ、処女懐胎によってイエスを産んだとされている。これはキリスト教の核心的な教義の一つであり、初期から無条件に信仰されてきた。しかし、処女懐胎という概念は聖書外の文献や他の文化にも類似する神話が存在している。古代ギリシャやローマの神話にも、神々と人間の間で生まれる特別な存在が登場する。たとえば、ペルセウスやディオニューソスのような神々の子も、神秘的な出生を持つという点で共通している。こうした他文化の神話を考慮すると、処女懐胎もまた象徴的な意味合いを持ち、単なる物理的な出来事以上のものとして理解できるのかもしれない。
さらに、マリアがどのような環境で育ち、どのような女性であったのかについては、聖書以外の資料も参照する。例えば『ヤコブの原福音書』という古代の外典では、マリアの幼少期や家族背景について記述されており、彼女がいかにして神の特別な選びを受けたかが描かれている。この書物によれば、彼女は幼い頃から神に捧げられ、特別な使命を持っていたという。
次に、東方の三博士について。聖書では「賢者」として知られているが、彼らがどこから来たのか、なぜ星に導かれてイエスを訪れたのかはあまり詳しく描かれていない。歴史的には、この賢者たちはペルシャのゾロアスター教の祭司であった可能性が指摘されている。ゾロアスター教は星の観察や予言を重視しており、賢者たちが星を読んでイエスの誕生を知ったという説もある。興味深いことに、ゾロアスター教の影響はイエスの時代のユダヤ社会にも及んでおり、東方からの賢者たちがイエスを訪れるというエピソードは、異文化間の交流や影響を示唆しているのかもしれない。
そして、ローマ・カトリック教会が歴史的に弾圧してきたものの一つとして、外典や異端的な教義が挙げられる。例えば、東方三博士についての異説や、マリアの役割に対する異なる解釈は、しばしば正統教義に反するものとして排除されてきた。特に中世のカトリック教会は、公式の教義から逸脱する思想や文献を厳しく取り締まっており、外典や異端思想は多くが弾圧され、抹消された。
こうして考えると、イエスの誕生やそれにまつわる登場人物は、単なる宗教的な象徴にとどまらず、異なる文化や思想の交差点であることが見えてくる。聖書だけではなく、外典や他文化の文献を参照することで、より広い視点でキリスト教の起源を理解できる。イエスの誕生は、ある意味でその時代の思想的・文化的な融合を象徴している。
処女懐胎の真偽
ブラヴァツキー夫人の説では、マリアには父親が決めた婚約者がいた。しかし、マリアはその許嫁には心が向かず、ヨセフを愛していた。聖書を現実的に読むと、ヨセフはマリアに別のフィアンセがいたことを知っていたが、マリアとヨセフの間でも密かに婚約していた。そして、ある日マリアが身重になる。
普通に考えればこれは婚前交渉を示唆する。しかし問題は、この子が誰の子なのか。マリアはヨセフの子だと理解していたが、なぜかヨセフはマリアに疑惑の目を向ける。「もしかして他の男の子供なのか? 俺に隠れて誰かと関係を持ったのでは?」といった疑念がヨセフの心に生じた。そしてヨセフは、ついにはマリアと離縁しようと考えた。
その時、天使が現れ、「マリアは精霊によって身ごもったのだから、安心して妻に迎えなさい」というお告げをヨセフに与えた。ヨセフはその言葉を信じてマリアと結婚することにした。ただし、マリアが子を産むまでは関係を持たなかったという。
聖母マリアが処女とされている理由
マタイ福音書の系図に唯一書かれた4名の女性
タマル・ラハブ・ルツ・バテシバ
聖書に登場するこれらの女性たちは、単なる脇役ではなく、家系や民族の運命に深く関わる重要な存在だ。
タマルは、義理の父ユダとの関係を持つことで家系をつなげた。彼女が直面したのは、子孫を残すことが重要視される社会で、後継者を持てないという窮地だった。そのため、あえて遊女を装い、義理の父をだますという一見過激な手段を選んだ。しかし、その結果、彼女は家系を継ぐ者を産み、ユダの家を救ったともいえる。タマルの行為は社会的な規範に反していたが、家族の存続という当時の最も重要な価値に照らし合わせると、彼女の決断には深い意味がある。
ラハブは、エリコの遊女として暮らしていたが、その運命を大きく変える出来事が訪れる。エリコ陥落の際、イスラエルの斥候たちを匿い、自分と家族を救ったのだ。遊女という立場であった彼女が、この危険な決断を下したのは、単なる生存本能だけではない。異邦人でありながら、彼女はイスラエルの神の力を信じ、敵であるはずの者たちを助けるという大胆な行動を選んだ。この選択は、自己保存と信仰に基づく勇気の現れであり、その後彼女はイスラエルの民の一員として受け入れられた。ラハブの血筋は、やがてダビデ王を含む重要な系譜に繋がり、彼女の決断は個人的な生存を超えて、後に神の計画に深く関与するものとなった。
ルツの物語は、忠誠と信頼、そして巧みな策略が交差するドラマでもある。異邦人でありながら、義理の母ナオミを見捨てず、共にイスラエルへ移住したルツ。しかし、未亡人としての彼女の未来は不透明だった。そこでナオミは、彼女を裕福な親戚であるボアズと結びつけようと、ある大胆な計画を立てる。収穫祭の夜、ナオミはルツに、ボアズが寝静まった頃に彼のベッドに潜り込み、足元に身を横たえるように指示した。この行為は、当時の風習に従って、結婚の意思を静かに伝えるものだった。さらに、ルツはボアズの耳元で、自分の親戚として「買い戻しの権利」を行使してくれるよう頼む。これによってルツは単なる未亡人ではなく、家族を再建するための重要な役割を果たす人物となった。
ボアズはその要求を快く受け入れ、正式にルツと結婚することを決めた。こうしてルツはイスラエルの社会に深く根を下ろし、後にダビデ王の曾祖母となる運命を辿る。異邦人でありながら、ルツの忠誠心と賢さは、彼女を単なる外来者からイスラエルの血統の柱へと導いたのだ。彼女の物語は、勇気と知恵によって運命を切り開くことができることを教えてくれる。
バテシバの物語は、旧約聖書において王ダビデと彼女の関係が大きな意味を持つ。バテシバは、もともとヘト人ウリヤの妻であった。ウリヤはダビデ王に仕える忠実な兵士であったが、ある日、ダビデはバテシバが水浴びをしている姿を偶然目にし、彼女の美しさに心を奪われる。
その夜、ダビデはバテシバを宮殿に呼び寄せ、関係を持った。その結果、バテシバは身重になった。ダビデはこの事態を隠すため、ウリヤを戦場から呼び戻し、彼に妻バテシバと過ごさせようと画策する。しかし、ウリヤは同僚の兵士たちが戦場にいる間、自分だけが家庭に戻ることを拒否し、ダビデの計画は失敗する。
ダビデはさらに策を弄し、ウリヤを戦場の最前線に送り、彼を死に至らしめる。こうして、バテシバは未亡人となり、ダビデは彼女を正式に妻とした。しかし、この行為は神の怒りを買い、預言者ナタンによってダビデは厳しく非難される。ナタンは、ダビデが他人の妻を奪い、その夫を死なせたことが重大な罪であることを告げる。
その後、バテシバとダビデの最初の子供は神の裁きによって亡くなるが、彼らは再び子をもうける。この子が後にイスラエルの王となるソロモンである。バテシバはソロモンの母として、彼の即位に深く関与する存在となる。
アルマ・マーテル(Alma Mater)
マリアはエッセネ派の大祭司の娘であり、エッセネ派の神殿で育てられた巫女であり神の子を生むために養育、準備された女性であった。その巫女は性の秘伝を伝授する役割を担っていた。このような秘伝を受ける資格を持っていた男性が、ヨセフであり、彼もエッセネ派の司祭であった。性に関する教義は秘密裏に伝授され、主祭のレベルに達した者がようやく明かされる教えであり、巫女がその際に大きな役割を果たす。この場合、夫という存在は「天の夫」として認識されるため、現実の夫という形ではない。マリアが神殿娼婦と呼ばれた理由もここにある。
処女降誕(Virgin Birth)
このような解釈をするのが、グノーシスの教義である。ローマ・カトリックが徹底的に弾圧し、殺害した人々の教えに基づくものだ。彼らは「処女から生まれた」という主張をしていたが、それは大嘘だ。ローマ・カトリックは、本当のことを知っていながら、自分たちの教義を広めるために、マリアを「処女」として位置付けたかった。そして、イエスを神の子として扱うために、このような教義を信奉していた人々を徹底的に弾圧し、殺害したのだ。
救世主を生むために選ばれた処女がいる。処女というのは神殿娼婦を指している。その女性から生まれる子供が救世主、つまり神の子としての役割を担う。こうした候補は何人か存在しており、エッセネ派のような秘密教団の中でその役割を果たす女性が選ばれる。マリアはその中でも筆頭だったと思われる。神の子を生むために選ばれた女性たちは他にもおり、その子供たちがキリストの候補となる。イエスもその一人であったと考えられる。
神の子として選ばれた子供は、父親から離され、特別な教育を受ける。これは将来キリストとなるための訓練であり、エジプトの僧院の本部などで修行を行う。その若い時期に厳しい訓練を受け、絞り込まれていく。まるで官僚システムのように、最終的にキリストとして合格するかどうかが問われる。そして秘密の僧院で修行し、性欲を断ち切り、禁欲の修行に専念する。
このことは「宝瓶宮福音書」に全て書かれている。この福音書はリーディングによって記されたものであり、エジプト時代の修行の詳細が克明に記されている。
東方三博士伝承
尖りのない剣の伝説
マギ(ラテン語: magi)は、本来、メディア王国で宗教儀礼をつかさどっていたペルシア系祭司階級の呼称。(ミトラ教の主祭)
マギという言葉は人知を超える知恵や力を持つ存在を指す言葉となり、英語の magic などの語源となった。これはマギが行った奇跡や魔術が、現代的な意味での奇術、手品に相当するものだったと推定されるからである。
博士たちの人数は贈り物の数から伝統的に3人とされている。彼らの名前として西洋では7世紀から次のような名が当てられている。それは
メルキオール(Melchior, 黄金(王権の象徴)、青年の姿の賢者)、
バルタザール(Balthasar, 乳香(神性の象徴)、壮年の姿の賢者)、
カスパール(Casper, 没薬(将来の受難である死の象徴)、老人の姿の賢者)である。いずれもペルシア人の名でなく、何らかの意味も確認できない。
ラム王(メルキオル)⇒メルキオール
バール・ダス・アシュル⇒バルタザール
カスパール王⇒カスパール
地下に潜ったイエスの真の教え
エッセネ派はミトラ教
東方の三博士:彼らはミトラ教徒だった。この伝承がどうして削られてしまい、東方三博士がわずかにしか登場しないのか。その理由は非常に単純だ。もしこの伝承がそのまま残ってしまったら、メルキオール、バルタザール、カスパールこそが最初に神を認識した人物として、非常に大きな尊敬を集めることになっただろう。そうなると、キリスト教にとっては非常に都合が悪い。救世主のところの真っ先に礼拝にいったのが、ミトラ教徒だったのだから。ミトラ教は、キリスト教にとって最大の敵なのである。
エッセネ派(ミトラ教)が原始キリスト教の中心であり、12人の弟子たちがその活動の中心となっていた。しかし、そこにパウロが登場する。パウロはユダヤ人を中心にしたグループであったが、彼は異邦人に対しても洗礼を与えていた。このため、パウロの活動によってキリスト教は国際的な宗教となる可能性を得たが、エッセネ派は基本的にユダヤ人を中心に、エルサレムで布教していた。
この点で、パウロとエッセネ派との間に関係の溝が生まれる。パウロは別の地域を中心に活動し、エッセネ派の布教とは異なる形で住み分けを始めた。秘教の教えは誰にでも与えられるものではなかったが、ユダヤ人でなくても秘伝が与えられることはあった。しかし、基本的にはユダヤ人を中心に、エルサレムを基盤として秘伝が伝授されていたのだ。一方で、パウロは異邦人を中心に布教を行っており、彼の教えはエッセネ派の秘教とは異なる、いわば「入り口」の教えであった。
その後、70年にエルサレムの神殿が崩壊すると、エッセネ派は散り散りになったが、彼らは崩壊する前にエルサレムから脱出していた。その後、彼らの行方は不明だが、エッセネ派こそがイエスの秘伝を掌握していたとされる。そして、このエッセネ派の一部が最終的にマニ教に合流していった。
元々ミトラ教であった彼らの教えが、マニ教として集大成された。マニ教は当時非常に強大な力を誇り、その影響力は広がっていた。しかし、キリスト教の勢力によって徹底的に弾圧された。だが、マニ教こそが真の秘儀を持ち、イエスの教えの核心を握っていたのだ。
そこからカタリ派が分派として生まれた。カタリ派はミトラ教の一分派であり、キリスト教の異端ではない。カタリ派はミトラ教の分派であり、キリスト教の一部ではなかったのだ。
カタリ派は、自らの宗教をヨーロッパに布教するために様々な手段を講じ、その一つがタロットカードであった。しかし、これもキリスト教によって異端として激しく弾圧された。
シリアのアラウィー派が狙われる理由
マニ教の流れが現在まで続いている。マニ教自体は形の上では滅びたが、いくつかの分派に分かれてイスラム教に吸収されたため、現在でもその影響を残している。ただし、表向きはイスラム教として存在しているため、彼ら自身がマニ教の信者であることを公にすることはできない。例えば、シリアで弾圧されているアラウィー派は、実はミトラ教やマニ教の子孫である。彼らはイスラム教の形式を取りながらも、密かに本来の宗教を守り続けている。
特にアラウィー派は、宗教的な理由から執拗に弾圧され、殺されることがある。弾圧する勢力の背後には、アメリカやキリスト教の影響があり、表向きはシリア政権の転覆のように見えるが、実際には宗教的な対立が根底にある。アラウィー派の教義が公になると、キリスト教やユダヤ教にとって致命的な打撃を与える可能性があるため、これを防ごうとする動きがあるのだ。
このような状況の中、マニ教の信者たちは長い間地下に潜伏していたが、近年になってその存在が再び表に現れるようになった。その教えが現代に受け継がれた形が神智学であり、特にブラヴァツキーによって広められた神智学は、このマニ教の流れに乗ったものだ。そのため、キリスト教から見ると異端とされる。
エッセネ派の内部結社
こういった地下に潜った流れの中には、エッセネ派だけではなく、他にもさまざまな集団が存在する。その一つがヨハネ派だ。エッセネ派にはイエス派やヨハネ派などがあり、さまざまな派閥が混在している。ヨハネ派は、イエスではなくヨハネを救世主と見なしている集団であり、彼らの流れがテンプル騎士団に繋がっていく。
もともとはミトラ教から分派したものであり、ヨハネ派の思想はその後、フリーメイソンにまで繋がっていく。つまり、テンプル騎士団やフリーメイソンはヨハネを崇拝しており、その背景には「性の秘儀」を教えたという伝承がある。彼らは現在でもその実践を続けている。
この流れは、ミトラ教から派生した一つの流れに過ぎないため、フリーメイソンがカトリックを嫌う理由もここにある。彼らはカトリック教会によって徹底的に弾圧されてきたからだ。
カトリックの教えとは一体なんなのか
カトリックは「非常に奇妙で妄想に満ちた教え」であるということだ。例えば、マリアが処女から子を産んだとか、イエスが神の独り子だとか、そういった主張自体が妄想であることがわかる。この妄想に反して真実を伝えようとした者たちは、常に弾圧されてきた。
イエスがただの人間で、過去の預言者たちと同様に一人の預言者に過ぎないと言えば、異端として殺される。例えば、ミトラ教なども当然異端とされる。過去には多くの預言者が救世主として降臨したとされる歴史があるため、これも異端だとされたわけだ。
この中世の暗黒の歴史を振り返ると、なるほどそういうことだったのだと納得せざるを得ない。そして、フリーメイソンがカトリック撲滅を徹底している理由も、理解できないことではない。カトリックの方が先に異端を弾圧してきた歴史があるからだ。
さらに、ローマカトリックの教えというのは宗教的に非常に幼稚で、論理的には支離滅裂であり、神学的にも成立しない。対して、ミトラ教やグノーシスと呼ばれる異端とされた者たちは、キリスト教を「真の教えに至るための入り口」として理解していた。キリスト教そのものが存在することは良いことであり、人々が信仰を持つきっかけとしての役割を果たしていたからだ。
聡明な彼らの見解では、ローマカトリックやキリスト教は、あくまで真実の教えに至る一歩に過ぎず、早くそこを卒業し、真の教えに目覚めてほしいと願っていた。これは完全に正しい考えだった。しかし、カトリックはそういった人たちを殺してきた。これには驚きを禁じ得ない。
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