花火のない夏
注意※今日は地元愛があふれすぎて、記事がかなり分かりにくい内容になっています。つぶやきだと思って流してください。
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8月2日・3日は長岡まつり大花火大会。平日・週末に関わらず、毎年この日付は変わらない。
今年は他の多くの花火大会同様、開催の見合わせとなった。
「慰霊、復興、平和への祈り」の想いを持つ長岡花火の歴史・意義・伝統、そして、長岡花火を楽しみにし、心の支えにもしている多くの市民、全国の長岡花火ファン、さらには、花火大会を支えてくださる花火スポンサーの皆様の想いを考えると、まさに苦渋の判断、断腸の思いであります。
引用にあるように、長岡市民(特に合併前の旧長岡市民)にとっては、心の支えであり、花火のない8月2日・3日なんて考えられない。
学生や若者にとっては「クリスマス誰と過ごす」より「花火誰と行く」の方がより重要だったりする。
近くのウオロクではなく、原信で買い出しすることにこだわったりする。(店内では、サブちゃんの「どうしょいの~」が永遠にループしている)
もう何年も見れていないけれど、毎年どこにいても「今頃花火が上がっているな」と心の中で想っていた。
お盆で手を合わせたり、大晦日におそばを食べるのと同じように、その日は何もない空を見上げていた。
こんな風に、今年は長岡の人たちも花火のことを想っているだろうか。
本当なら今頃は、
息つく間もないほどのスターマイン 、
ナイアガラを従え空高く昇る正三尺玉、
視界に入りきらない圧倒的な(以外の言葉が見つからない)光と音で心をガンガン揺さぶってくるフェニックス
が打ち上げられている時間。
長岡市の人口を超えるほどの人たちが河川敷に集まって、手に持った焼き鳥を食べるのを忘れて、空を見上げている時間。
故郷に未練はないけれど、歳をとるごとに長岡の自然と花火が恋しくなる。
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