京都 消えた街並みを思い出したかった。
今年、3年ぶりに里帰りをする予定でした。
久しぶりの日本。子供も大きくなったことだし観光がしたい。関空着・羽田発の便を予約し、新潟に帰る前に京都旅行をしようと計画していました。
京都を初めて訪れたのは、中学校の修学旅行。古い寺社仏閣などの有名な観光地よりも、市街地に、戦前から残る町家が密集して立ち並び、それらが現代でも普通に使われていることに大きな驚きを覚えました。
私の出身地である長岡市は空襲で市街地の8割が焼失し、歴史があるにもかかわらず古い町並みは残っておらず、京都の街並みはまさに初めて見る光景だったからです。
その後はいつか京都に住んでみたいと思い続け、大学卒業後の2003年、気合いで実際に京都に移住し、一年間住むことができました。短い間ではあったけど、自転車で細い道をあちこち巡り、あこがれだったその土地の風景を心に刻み込んだ一年間でした。
それから17年経ち、行くはずだった今回の旅行でも「市街地をただ歩く」のをとても楽しみにしていました。しかし、わくわくしながらストリートビューを手繰る中で、京都の街並みが私の記憶の中にある風景からだいぶ変わってしまったなあという印象を受けました。
街並みは変化する。
それを批判するわけでも、提言があるわけでもないけれど、おそらくニュースにも上がらず静かに姿を消す私の好きだった街並みを、みなさんと共有出来たらいいなあと思いました。
二枚一組で、一枚目は2009年、二枚目は2019年のストリートビューです。画像を拡大してもらって次の画像に移ってもらうと、その変化がよくわかります。
それでは始めます。
①
漆喰の平屋住宅が、こちら側と裏側にも同じように並んでいました。軒先に並んだ植木鉢が生活を感じさせます。しかし数年後、この一帯がすべて駐車場になっていました。
②
とても趣のある個人医院だったようですが、今は見る影もなく更地です。同じ場所だとは、にわかに信じられません。
調べてみたら、室町期に建てられ、江戸期に増築されたという国内最古の住宅ということでした。今年の一月ごろに跡地の調査に関する記事がでていたようなので、ご存知の方もいらっしゃるかも。最初にあげた二枚の写真はこの敷地のちょうど裏側で、ひとつなぎにするとかなり大きな土地になります。
③
なんてことない、よくある通りの風景。二枚目の写真では駐車場を設けるために住宅がセットバックし、大きくその印象を変えています。光がたくさん入っていて、もちろんそれは暮らす人にとってはメリットしかないのですが、ここが京都だと言われなければわからない街並みです。
④
そんなに古くはなかったのでしょうが、こういった和風レトロな建物も大好きでした。美しいグリーンのタイル、石垣の上に作られた小さなお庭に丸い窓。ミニチュアにして欲しいくらいかわいらしい建物。銭湯だったようですが、今は一般的な住宅になっています。
⑤
土壁のしっかりした造りの住宅。T字路のつきあたりに位置していており、直して、お店として使えばいい雰囲気になったのではないかと思いました。
現在は駐車場です。左側の住宅に残った家の跡が生々しい…。
次は三枚です。
⑥
だいや旅館の向かい。法衣店という京都らしいお店があったところがでしたが一度駐車場になり、最後はコンビニになりました。
更地にして駐車場というのは所有者にとってはメンテナンスいらずで収入になる一方、街の魅力(車で向かう目的地)が減り、そのエリアがさらに廃れてしまう原因になります。そういった意味では、せめて駐車場ではなく、このように活用されていけばよいなあと思います。
⑦
最後は個人的に最もショックだったところ。京阪三条駅近くの名物居酒屋、伏見があった通りです。
17年前、この場所のすぐ近くに住んでおり、ほぼ毎日通っていた道でした。再開発の計画に伴い、ごっそりと取り壊されたようです。ここまでまとまって記憶の中にある風景が消えてしまったことは、やはり寂しかったです。
まとめ
戦火にも災害にも耐えてきた建築物であっても、経済活動には太刀打ちできません。
しかし京都市内にはまだ町家はたくさん残っていますし、軽量鉄骨の倉庫を壊して伝統的な外観の住宅に戻している場所もありました。
今後はどのように変わっていくのでしょうか。京都市とそこに住む人たちを信じて、また訪れる日を楽しみに待ちたいと思います。
では。
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