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理想のゲームを作る為に主題歌欲しいけど音痴なので防音室作って練習します


理想のゲーム作りたいシリーズ(のつもりで書いてる記事)の第二弾。
今日はゲームの世界がぐっと華やぐ主題歌についてです。

タイトルの通りですが、先日自室に防音室を作りました。

最初はカラオケルームで週1練習+本番はスタジオ収録の予定でやってたんですが、あまりに歌唱がヘロヘロで実用に耐えないシロモノだったので防音室を作って毎日みっちり練習するプランへと変更し現在は自主練に励んでいます。

これでも2月末からずっと活舌と発声と音程のトレーニングしてるんですが、歌うって難しいですね。

……え? そう言う話ではなく何で素人が外注もせず自分で歌おうとしてるのかって?

そりゃお金と狂気が足り無いからですよ。

1回2回の外注なら防音室より安く済みますが、私は生涯現役でゲーム開発を続けるつもりでいます。
なので今回外注して次回作は外注費用が確保できなかったから主題歌は無し、みたいに作品によって作り込みにバラつきが出るのが嫌なのです。

ゲームを2、3作作れば防音室の制作費より曲の外注費用の方が大きくなりますし、だったら練習して技術を身に着けたほうがこの先の活動がしやすくなるだろうと思いました。

例えば、作曲から歌唱、Mixまで出来るようになると主題歌のピアノアレンジを物語のシリアスシーンで流すとか、逆にオーケストラアレンジをボス戦で流すなんてことが出来ます。
他にもゲーム外の活動としてサントラ出したりキャラのイメソン集を作ったりしてM3(同人音楽の即売会)に出るなど創作を通した楽しみの幅もぐっと広がります。

そしてそれより大事なのが狂気です。
今作っているデウ教はそもそも2014年からふりーむコンテスト、ニコニコ自作ゲームフェス、ティラノゲームフェス、新人フリーゲームコンテストなど様々なコンテストに落選(計6回)し続けた悔しさから生まれたゲームです。

画力やプログラミングスキルが上がって今なら行けるかも!と淡い期待を持って出した6回目の挑戦先である新人フリコンに落ち、言葉にならない叫び(ムンクの叫びでも想像して下さい)と共に今度こそ面白いゲームをつくるんじゃ畜生がぁああああああ!!!と負の感情を爆発させて作り始めたゲームです。

デウ教は2010年からゲーム制作を始めて大体2年に1回ペースで何かしら生み出しているのに感想は0件DLは1年がかりでやっと3桁という、気の遠くなるような孤独な年月の先に生まれた狂気のゲームになる予定でした。

ですが新人フリコンと同時期に出していたティラノゲームフェス2022でありがたい事に脱出ゲームの部門賞を頂いてしまい、私の中にあった負の感情が1ミリも残さず成仏してしまったのです。

そして更に、実は霧生先輩は制作中から完成後まで沢山の反応貰っており感想0のコンプレックスもこの時点で消滅していました。

負の感情をベースに作るつもりだったのに新人フリコン落選時にはその負の感情の半分が既に無かった状態なのです。

そして残るコンテスト連敗コンプもティラノゲームフェス2022の結果発表で霧散し、手元には炭酸の抜けたコーラのような作りかけのデウ教だけが残りました。

これはまずい。
狂気を詰め込むだけ詰め込んで作るはずだったのに詰め込む狂気が無くなってしまった。

しかもシステムと背景素材から作っていたので一番の狂気の見せどころであるはずのシナリオは完全未着手です。
今の穏やかな精神状態でシナリオを書いても普通のデスゲームにしかならないでしょう。

そこでどうするか悩んだ結果、別の狂気を詰める事にしました。
それが情熱という名の狂気です。

Twitter上には情熱の名のもとにゲーム制作歴10年どころか20年~30年、しかも自由な時間のほぼ全て=人生全てを捧げている狂人が複数生息しています。

私も一応人生を捧げているつもりなんですが、狂人かと言うとどう見ても一般人です。

でも人生と言ったらその人の全てと同義であり、もう捧げる供物がありません。
どうすれば私も狂人になれるのか? タイムラインに流れてくる狂人達のツイートを羨まし気に眺めながらずっと考えていました。

そして、

「……いや、まだ1個残っていたぞ。
時間と労力は惜しまず捧げているが、お金は何かあった時の保険と称して手つかずのままじゃないか(ಠﭛಠ)」

と、いう事で技術習得や開発環境にお金をかける→間接的に創作へお金を捧げてみる流れとなりました。

賭ケグルイのヒロインも「資本主義の世の中では金は命も同然。命を運否天賦に委ねるなど、正気の沙汰ではありません」と楽しそうに仰っているわけですし、命を捧げればきっと狂気のゲームが完成するに違いない、と思った次第です。

まぁ、実際のところは高卒の初任給みたいな給料しかくれないのにボーナス無し昇給無し退職金無しとかいう会社で働いているだけの現実に嫌気がさしてるというのもあるんですがね。

そんな薄給の中、老後の為と称し色々我慢しながら家と会社を往復するだけの人生に何の意味があるのか? と常々思っていて、それなら何を捧げても惜しくないと思える世界にせっかく出会えたのだしそっちで楽しくやっていこうというのが私の今の考えです。

なので親が倒れたり会社が倒産するまではこの調子でやっていこうと思います。

見えないタイムリミットに怯えながらの制作となりますがデウ教やその前後に出るであろうゲーム達の事を温かい目で見守ってもらえれば幸いです。



~閑話休題。またの名を編集後記~

……と、また書こうと思っていた話と全然違う流れで〆てしまったので、ここからはおまけ編と称し私の同人音楽に対する思いを書いていきたいと思います。

私が同人音楽という世界を知ったのは花帰葬という同人ゲームがきっかけでした。

このゲームでは主題歌だけでなく音に関する全ての制作を志方あきこさんという方が担当しています。

同人ゲームの世界自体花帰葬で初めて知った(厳密に言うと意識したが正解で、そういう人たちがいるのはうっすら感じてました)のですが、音楽やゲームを仕事ではなく趣味で作っている個人が沢山いる事にとても感銘を受けました。

そこから片霧烈火さんや霜月はるかさん、葉月ゆらさんにSoundHorizonに妖精帝國にアリプロジェクトとどんどん好きなアーティストと音楽が増えていきました。

妖精帝國とアリプロはインディーズ出身ですが、大体この辺のアーティストを好きな人は割と通る道ではないかと思って一緒に名前を挙げてみました。

そしてそんな彼女らに憧れ私はカラオケにハマります。

当時はまだ10代後半で、人によってはヒトカラを恥ずかしがったりあるいはやってる人間をm9(^Д^)プギャーしたりしていましたが、そんな悪意をものともせずバイト帰りに毎日1時間歌って帰ったり、専門に入ってからは午後の講義が無い日があったので週1でフリータイムで入って7~8時間歌って帰るようなことをしていました。

多分私の歌を聞いた事のある友人知人は「え?」と思うでしょう。
なにせ音は外すわ声ヘロヘロだわでとてもじゃないですが沢山歌っている人間の歌唱力には聞こえないですから。

でも、そういうド下手くそだったからこそ一人で歌っていたんです。

一人なら2分も3分も他人に下手な歌を聞かせるという気まずい思いをしなくて済みますし(サンホラだと5分超えという拷問)、歌う為の順番待ちもありません。

本当に気持ちよ~く音を外しへろへろしながら歌ってました。楽しかったです。

そこから専門を卒業するとしばらくカラオケからは遠ざかってしまうのですが、代わりにのめり込んでいたのがゲーム制作でした。

そして作ったり遊んだりしているうちに志方さんがサウンドを担当した花帰葬がレアケースなのではなく、ゲームとは総合芸術であり、音楽も絵もシナリオも上手い下手関係なく自分で好き勝手やっている作品が沢山ある事に気づきました。

そしてやっている本人達は皆楽しそうでした。

時系列が前後しますが私は俗にいう同人御三家、月姫・東方・ひぐらしを見てきた世代であり、ゲ制勢(ゲーム作る人達)にとって同人音楽はすぐ隣というよりは一部が重なった世界という感覚があります。

となればいつかは自分もやってみたいと思う訳で、ボーダーライン以降に作ったゲームは試作品、完成品、凍結関係なく必ず主題歌を作るようにしていました。(という事で実は霧生先輩や玉響にもあります)

何でそんな事をしていたのかと言うと、ゲーム開発をやっていると他分野の練習をする余裕がほとんど無いので、本番のつもりで作ることによって経験を積んでいたのです。
なので過去に作った主題歌達がゲーム内で流れることはありません。
あくまで練習です。

そんな事を7、8年続け今日に至るわけです。

そして詰める負の感情がなくなった今、情熱という名の狂気を注ぐべく防音室を作った次第というわけです。

ゲームの出来を良くしたいだけなら外注した方が何倍も良いものが出来るのは確かですが、外注された側、つまり依頼されたヴォーカルさんは私のゲームの主題歌を歌いたいとは思っていません。

当たり前です。誰がこんな無名のヘタレゲーを、という以前にそもそも認知されておらず依頼されて初めて知るわけですし。

ですが私は違います。

世界で一番『デウスエクスマキナの教理 ~殺人遊戯はトロッコ問題の解を得るか~』につて知っていますし、世界で一番このゲームの事が好きなのも私です。
もちろんこのゲームの歌を世界で一番歌いたがっているのも私なわけです。
何せ音楽活動してる人の認知度は0ですからね!

とにかく、世界で一番このゲームの事を想っているのは開発者本人なのだから、その本人が歌えばそこに何か狂気が宿るんじゃないかと考えるわけです。

ちなみに開発者が作曲に挑戦したり楽曲を外注して自分で歌う事を試みるのはそう珍しい話ではありません。
今はあまり聞かなくなりましたが、ゲームの主題歌の出来が微妙だと「これ歌ってるの作者じゃね?」なんて言われる時代もありました。
本当にそうかは関係なく、下手くそを揶揄する言葉だったかと。

なのでデウ教が完成したら同じことを言う人が現れるかもしれませんが(そして正真正銘作者なわけですが)、それも一つの狂気の結晶ということで暖かい目でプレイするかOP・EDだけミュートにして遊んでください。

さて、なんだかまとまりのない文になってしまいましたが、話したいことは書き切ったのでこの辺で締めたいと思います。

それではまた次回、理想のゲームを作りたいシリーズの3記事目か別のどこかでお会いしましょう。

それまでお元気で。私は元気じゃないけどね!

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