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愛される資格、なんてものは。


郵便受けをのぞいたら、娘からわたし宛の手紙が入っていました。
昨日、娘をシッターさんに預けたとき、一緒に書いたようです。

「ママだいすきだよ。したもみてね。」
文字の下にはわたしの似顔絵が。

疲れて気弱になってたのもあり。

わたしはこの子に愛されるほど
ちゃんと母親できているんだろうか、
愛される資格あるんだろうか、
なんて思ってしまいました。

感情的に怒っちゃうこともあるし。
エゴを押し付けることもあるし。

育児してて自分が嫌だと思うことはまだまだたくさんあります。

————

すみっこぐらしの映画第三弾(がアニメ史に残る名作なんじゃないかと思うんですが)、
そのテーマが
「壊れてても、役に立たなくても、大事なものがある」。

自分は役に立たない、だれからも必要とされないと悲しむひとを、すみっこたちは大事にします。

愛される資格とか、いうけど、
たぶん、人を愛するのは、究極は愛する側の勝手であって、
愛される側が、
愛される資格の有無を論じるのは原理的におかしいのかもしれない。

愛されるための努力は(清潔感を保つとか)
愛される確率を上げると思うけど。

愛される側の努力や自己認識なんて関係なく、
愛は、愛する側の勝手の産物。

と、すみっこぐらしの映画のストーリーを思い出すのでした。


だとしたら、愛される資格なんて、どうでもよくて、
わたしはただ、娘に感謝するだけだなと。

「ママだいすき、にいつもちからをもらっているよ。ほんとうにありがとう。
きょうもおいしいごはんをつくるね」

自分が嫌だっておもってるときの、
ママ大好き!はとても大きな勇気になるし、
娘には何度もそれをもらってると思います。

わたしがわたしの勝手であなたのこと好きなんだから、大好き、と遠慮なくいえる人間に、わたしもなりたい…
が、大人には難しくてなかなかいえないもの苦笑

せめて言われた時には、しっかり感謝で返していきたいと思います。

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