高校野球の定番『SEE OFF』には少なくとも「3種類」ある
今回の『J NOTE』は、高校野球の応援歌の話をします。普段コラムとして書いている「観光」や「地方創生」に関する話は一切出てこないので、なにとぞご了承ください。
はじめに
高校野球では2022年現在、多くの学校でBRAHMANの『SEE OFF』(1998年リリース)が応援歌の一つとして取り入れられています。
『SEE OFF』は全編英語詞で書かれていますが、スポーツの要素は皆無で元の歌詞も暗く、正直応援歌に向いている楽曲ではありません。しかし、軽快で覚えやすいメロディーと、ブラスバンドで演奏すると重厚感があってカッコいいことから、2000年代中ごろから徐々に使用する高校が増えていきます。そして現在では、高校野球の定番応援歌の一つとして多くの高校で演奏されています。
そんな『SEE OFF』ですが、実はバラエティーに富んだ応援歌であり、大きく分けて3種類のパターンが存在していると私は考えています。
パターン①:オーソドックス【オリジナル歌詞付き】
1つ目は、演奏は曲冒頭の8小節のみを演奏し、高校によってオリジナルの歌詞を付け足すというパターンです。
ちなみに、私が小学生のころ(2008年ごろ)に初めて『SEE OFF』を聞いたときは、ほぼすべての演奏がこのパターンでした。
原曲と比べると演奏テンポはゆっくりめとなっており、低音が響きやすいことから重厚感と威圧感を感じる応援歌となっています。なかには、特に歌詞を付け足さずにメロディのみを演奏する高校もあります。
このパターンは数々の高校で採用されており、かれこれ15年以上は高校野球の応援歌の定番として演奏され続けています。
パターン②:茨城系【1コーラス演奏】
1つ目は、『SEE OFF』1コーラスを丸々演奏するパターンです。
このパターンは茨城県の高校を中心に演奏されており、常総学院高校や明秀日立高校、石岡一高校や霞ヶ浦高校などが甲子園で演奏した実績があります。
このパターンの発祥は、2000年代はじめに茨城県日立市の日立一高校で生まれたとされています。元々、BRAHMANと高校野球が好きだった女子高校生が、吹奏楽部や応援団に入っていた友達と一緒に作り上げた応援歌だそうです。
また、BRAHMANのTOSHI-LOWさんが水戸市出身だったのと、応援歌があまりにもかっこよかったことも相まって、徐々に茨城県内の高校でも使用されていくようになりました。誕生から20年以上たちますが、今でも伝統の応援歌として演奏され続けています。
そして、このパターンの元祖である日立一高の応援は特に人気が高く、まさに『SEE OFF』応援の代名詞として全国のファンに知られています。
このように、茨城県内で演奏されているものは、全国で一般的に演奏されている『SEE OFF』とは一線を画すものとなっています。しかし、後述のパターン③の大流行によって、現在では「叫べ歌え」が歌詞に盛り込まれている高校もあるそうです。
パターン③:サッカーチャント系【叫び!歌え!】
3つ目は、松本山雅FCや大分トリニータで使用されているチャントを流用したパターンです。現在高校野球で演奏されている『SEE OFF』において、主流になりつつあるパターンとなっています。
元々は松本山雅FCの応援団が、BRAHMANのメンバーであるMAKOTOさんとRONZIさんが松本市出身ということにちなんで、「得点チャント」として2006年から2007年ごろに制作したものです。現在でも松本と大分で演奏され続けており、高校サッカーでも多く使用されています。
そして、これがいつごろから高校野球にも用いられるようになりました。歌詞は高校によって「叫び歌え」と「叫べ歌え」が混在していますが、おおよそ松本の応援スタイルを踏襲して演奏されています。また、前奏を付けて応援する高校もあり、前奏を応援団が独唱する前橋育英高校の応援が特に有名です。
このスタイルが広まったきっかけは定かではありませんが、いくつか仮説を立てることができます。
この仮説のいずれかによって、サッカーのチャント風の『SEE OFF』が高校野球の応援歌として定着したものと思われます。
3種類とも発祥がバラバラの可能性大
ここまで『SEE OFF』の3種類のパターンについてみてきましたが、どうやらこの3種類の『SEE OFF』はすべて発祥がバラバラである可能性が高いと思われます。
高校野球の応援歌における『SEE OFF』は、パターン②の日立一高(2001年)が元祖と一般的に言われていますが、YouTubeに投稿されている動画のコメント欄には、それ以前から『SEE OFF』を演奏していた高校があるというコメントが寄せられています。
もちろんコメントの真偽は分かりませんが、BRAHMANが『SEE OFF』を発表したのが1998年、日立一高の応援が2001年に完成されているということは、この2、3年の間に先に演奏している高校があっても不思議ではありません。また動画のコメント欄には、1999年や2000年に演奏していた具体的な高校名を挙げているユーザーもいるため、日立一高より先に演奏していた高校が存在する可能性は高いと思われます。
しかし、パターン②については、日立一高で制作されたという記事やインタビューも残っているため、それ以前に演奏されていたものは日立一高発祥のものとまた別パターンの『SEE OFF』ということになります。
あくまで推測ですが、その別パターンというのが一番オーソドックスなパターン①なのではないかと思われます。理由としては、2000年代の応援歌は「タッチ」や「ポパイ」など伝統的な応援歌が使われている高校が多く、もし『SEE OFF』を新たに使用するならば、オーソドックスな編曲になると考えられるからです。
またパターン③については、元々松本山雅FCが2006年ごろからBRAHMANの楽曲をいくつかチャントに採用しており、『SEE OFF』はその中の一つだったといわれています。そのため、高校野球の応援からサッカーに輸入したわけではないといえ、①や②とはまた発祥が異なるということになります。
つまり、この3種類の『SEE OFF』はすべて発祥が異なると推測することができます。
おわりに
このように、『SEE OFF』の演奏パターンには3種類あり、そのどれもが発祥が異なる可能性が高いということが分かりました。
「はじめに」で述べたように、元々『SEE OFF』は決して応援歌向きの歌詞ではありませんでした。しかし、複数の人に応援歌にふさわしいと見出されたことによって、今では「高校野球の応援歌の定番」として知られるようになりました。
来年春の甲子園は、おそらく声出しによる応援が解禁されるようになるのではないかと思われます。もう一度、甲子園で『SEE OFF』が声援有りで応援される日を楽しみに待っています。