恋愛映画を見れなかった
いつからだろう
泣かずに恋愛映画を見れるようになったのは。
昔から映画を見るのは好きだった。
けれど、恋愛映画を見るたびに、悲しくなった。
それがいい映画であればあるほど傷ついた。
ほとんどの映画で描かれる二人は男女で、映画の中で描かれるようなロマンスや激情は、僕の方向を向いてはいなかった。
多感な時期に僕が出会ってきた恋愛映画で描かれる世界は、僕のためには存在していなかった。
「あと1センチの恋」を見て、もどかしくなる。なんでこんなにすれ違うんだ。こんなにも近くに居るのに。
「アバウトタイム」。メアリーのために幾度となくタイムスリップを繰り返すティムも、僕のためには時間を越えてはくれなかった。
最も多感な時期、僕は周りに自分の幸福を委ねすぎていたのかもしれない。
何かが決定的におかしいと分かっていたのに、それを一人で抱え込んでしまっていた思春期の自分。好きな映画にさえ裏切られたような気がして、好きだった人と行った映画デートも楽しめなかった。
22歳になった今。ぼくは以前よりも平気な気持ちで恋愛映画を見ることができる。
映画の中を生きる登場人物たちが自分と違う存在だと気付いたのは、いつだろう。確かに彼等の人生は美しいかもしれないが、今まさに自分が生きているこの人生だって変わらず美しい。
それに気づくまでに、どれほどの時間を擁しただろう。
それに、世の中にはいろんな映画が溢れている。自分と同じセクシュアリティを持った人たちだって、自然に映画の美しい世界で生きている。
それをはっきりと知覚できる今、怖いものなんてない。
帰国する飛行機の中で見直した「あと一センチの恋」は、初めて見た時ほど感動しなかった。年齢を重ねながら、こうして映画の観方だって変わっていくのだろう。