白内障手術 私の場合 後編
昨年2024年12月に白内障の手術をしました。あくまでも「私の場合」なのですが、自分の記録のため、その顛末を綴りました。
前編はこちら⬇️
かかりつけ医との相談
白内障になった私は2024年10月初め、白内障手術について最終的にかかりつけ医と相談した。
当初かかりつけ医は矯正視力が0.7前後出ているから手術は急がなくてもいいという見解だった。しかし私がクルマの運転に支障があると言うと、かかりつけ医は手術を受けたいかどうかは最後は個人の判断だから、と私に手術を受けたいか確認を求めた。命に関わる病気ではないから確かに急ぐことはないが、霞むのを我慢して危ない運転も嫌だし、旅行に行って景色だって鮮明に見て写真だってきれいに撮りたい。だから私は手術を受けることにした。
手術をするために紹介してもらえる病院の候補は3つあったが、かかりつけ医の教え子が自宅から比較的近い大学病院の教授で白内障の手術も大変上手で教え子の中で一番優秀だというので、その触れ込みを信じて、そこへ紹介状を書いてもらった。
その翌週に私はさっそく大学病院に行った。
大学病院での診察
大学病院での眼科診察は40年位前にも経験したが、その当時の医師の印象はすこぶる悪かった。威張り腐った横柄な態度の診察に辟易した記憶が鮮明にある。
不安を少し持ちながら初診の受付を済ませ眼科のある階に上がると、診察室への入り口の通路が待合室で、長椅子が並んでいる。昔ながらの長椅子ではなく、単独の椅子がいくつも並んでいるタイプ。このほうが隣の知らない人と肩が触れ合わないで済む。コロナ禍を経て改善されたのかもしれない。椅子に座って名前を呼ばれるのを待つ。
診察開始の9時を前にして、しだいに椅子も埋まってくる。車椅子や移動ベッドの患者も行き交う。病院職員の動きも頻繁だ。
やがて名前を呼ばれ、診察の前の視力検査や視野検査や眼底写真の撮影をした。
こんなに詳しく検査したのは久しぶりだ。手慣れた検査員によるひと通り検査が済み、また椅子にかけて待っていると、やがて再び名前を呼ばれ、いよいよ診察で診察室に入った。
薄水色のカーテンの向こうの薄暗い部屋に男の医師が椅子に座っていた。私よりずっと若い医師だ。まずお互いに名前を名乗り挨拶。彼が教授で執刀医だ。昔の大学病院では、こんなお互いの挨拶はなかった。それ以上に昔の大学病院の医師はめちゃくちゃ冷たく威張っていた。今や医師と患者は対等に治療に向き合う時代になったのかな?と少し思う。医師はパソコンの画面に表示されたデータを見ながら、私の眼について一通り説明した。一番心配したのは、白内障以外に左右にある黄斑浮腫で特に右眼のほうが悪いということだった。白内障は右眼の中央部にあり、そのせいで白内障の手術後、左眼と同じ視力になるとは限らないという。また黄斑浮腫と白内障の手術は同時に行うことが多いが、今回は白内障だけ手術する。将来、黄斑浮腫の手術がしやすいような白内障の手術を行う。右眼だけだとバランスが悪くなるので、白内障が酷くない左眼も手術する。ここの病院は日帰り手術をしていないので、3泊4日の入院になる。医師の説明は要領を得て分かり易く、私の手術する決断を後押しするものだった。昔の大学教授とは印象がだいぶ違う。診察のあと看護師が持って来た手術の同意書に署名する。手術の内容、方法、必要性、危険性、合併症、他の方法の有無、同意の自由について。平たく言えば手術以外に白内障が治す方法はないけど、良かったら自己責任で同意してね、嫌だったら手術前にいつでも手術を止められるよというものだった。何か起きても患者は文句無しよという医療体制側に有利な内容にいささか不安になるが、ここまで来て止めるわけにもいかない、同意した。
ところでこの病院には患者支援室があって、医療福祉相談のご案内というリーフレットをもらった。医療の様々な困り事を無料で相談できる仕組みだ。なかなか行き届いている。こういうものがあるというだけでも安心する。ふと報道で知るパレスチナの崩壊した医療現場を思い出す。その過酷さに比べたら自分はどんなに恵まれているか。もちろん現代医療体制の問題点があることも伝え聞くが、この日本の都市部の恵まれた医療体制は間違いなくみんなの努力によって維持されているのだと、院内の働く姿を見てそう思う。
白内障の手術では濁った眼のレンズ水晶体を摘出して代わりに眼内レンズを挿入する。
この眼内レンズには、単焦点レンズと多焦点レンズがあり、それぞれ長所短所がある。
単焦点レンズの長所は、ピントを合わせた距離が鮮明に見えること。健康保険が適用されるから医療費が比較的安価であること。短所としてはピントを合わせた以外の距離を見るために術後もメガネが必要だということ。
多焦点レンズの長所は遠くから近くまで満遍なく見えること。短所は健康保険が適用外なので医療費が高いこと。見える範囲の明視域が広い最先端眼内レンズでも、フレアやゴーストで夜間の照明がにじんでやや見にくかったり、30cm位の近方が見づらいことがあるということ。
それにしても改めて生命の奇跡の意味で人間の眼は良くここまで進化したな、良く出来ていると思う。眼のレンズである水晶体やピント合わせのために水晶体の厚みを正確に変える毛様体筋の働きと同じ人工レンズは今のところ完全には生み出せないでいる。
結局私は幼少期からメガネをかけていて、かけることにわだかまりがない、鮮明度を重視したい、医療費が安くしたいなどの理由で、単焦点レンズを選んだ。因みに私が手術を受けた大学病院では、現在、単焦点レンズのみ扱っていた。将来、多焦点眼内レンズがさらに進化して保険診療になれば、また違う選択もあり得ると思う。
手術1ヶ月前の検査
手術日1ヶ月前に胸のレントゲン撮影、血液検査、心電図検査を行い、入退院センターで入院時の説明を受けた。眼科で眼の状態を再チェックして、手術に際しての注意点を聞いた。医師が「手術中、絶対に顔を動かさないで下さい。」正直不安です。咳やくしゃみをしたくなったら、どうしよう?いろいろ不安になったが、まあそのときになれば何とかなるだろう。ついに入院の日を迎えた。
いよいよ入院
入院当日は、病院まで相棒にクルマで送ってもらった。
12時半過ぎ、まず入退院センターに行き、手続きをする。いろいろ書類があって署名した。看護師から入院についての説明を受けた。要は周りに迷惑かけないで正しい入院生活を送りなさいということだ。当たり前だが3泊4日の温泉旅館に泊まるのではなく、治療のための入院なのだ。
それから眼科に行って、ひと通り検査を受けた。午後2時から病室に入れるというので、売店で術後の保護メガネを買ってから8階にエレベーターで上がった。各階止まりの途中、点滴を持った患者や看護師が入れ替わり立ち替わり乗り降りする。やっぱりここは病院だ。8階でエレベーターを降りると病棟への自動ドアがあるが、壁のインターホンに気づかず、前を歩いている人に続いて病棟内に入ってしまった。廊下をしばらく行くとナースステーションがあり、カウンター越しに「今日入院するんで来たんですけど」と私が言うと、看護師が「インターホンで呼びましたか?」「いや、前の人に付いて入って来てしまったのですけど」看護師はしょうがないなあという顔で「次は入室のさいインターホーンでお知らせ下さい」と言い、病室に案内してくれた。6人部屋の普通だが小ぢんまりとしたきれいな部屋だった。「入院したことあります?」と聞くので「40年位前に」というと、ベッド周りの機能をざっくり説明してくれた。きれいな病室で機能的な造りだ。
まず病院レンタルのパジャマに着替え、検温と血圧検査。なんだかだんだん入院患者らしくなってきた。看護師の指示で明日午後の手術に備え、今日は2時間おきに2種類の目薬を抗菌と散瞳のために右眼に点眼する。「目薬差しましたか?」と看護師がまめに確認に来る。ワゴンに器材を載せて看護師はやって来るが、ワゴンの一番上段はノートパソコンが鎮座している。すべてこれで情報管理しているらしい。
点眼以外すること以外にすることもないので、イヤホンでラジオを聴いたり、スマホを見たりして、その後はベッドでゴロゴロしていた。
楽しみと言えば食事だけだ。いつ何を食べても美味しかったが、この量で成人の1日のカロリーが摂取出来るとしたら、いかに普段食べ過ぎかがわかる。
午後9時に消灯。天井に小さな青いランプだけが点いている。時折ナースコールで呼ばれた看護師が懐中電灯を持って入って来る。案の定慣れない場所で寝れない。病室は暖かくパジャマ一枚でも布団を掛けると暑苦しいくらい。しばらく悶々としていたが、やがていつのまにか浅い眠りについた。
ふと起きたら朝で、起床の6:00を過ぎていた。慌てて手術当日の目薬を点眼。8:00過ぎ朝食。8:30頃5階の診察室で眼の状態を確認する。昨日とは別の医師から「手術頑張りましょう!」と励まされる。「よろしくお願いします。」と答える。「今日はまず右眼の手術ですね。」と確認され、右眼と右耳にマジックインクで確認用の三角印を描かれた。手術は13:30頃と聞かされ、いよいよという感じで少し緊張する。それまで右眼に2時間おきに抗菌と散瞳の目薬を今日は3種類点眼する。まあそれ以外は相変わらずすることがないので、FMラジオを聴く。
そしていよいよ手術だ。
12:30頃昼食を取り、目薬を点眼していると13:00を回る。しばらくすると車椅子を押しながら看護師がやって来て「順番が近づきましたから手術室に行きましょう。」「はい、わかりました。」歩いても行けそうだが、車椅子に乗り病棟の廊下を進みエレベーターに乗る。これで本格的な患者になってしまった。
手術室に向かう自動ドアを入ると別の受付があり、「お名前をおっしゃって下さい。」そういえばこの病院は患者に対して基本的に丁寧語や尊敬語だ。患者とのやり取りを円滑にするためだろうか。名前を言わされると、左手首に巻かれたリングのバーコードを読み取られた。なんでも電子管理だ。本人確認が済むと車椅子に乗ったまま、いくつかの角を曲がり廊下を進む。両側にはいろいろな器材や段ボールが置いてあり意外と雑然としている。そして手術室前に到着した。
ちょうど前の患者が手術を終えて車椅子に乗って出て来たところで、少し待たされるようだ。
再度名前の確認があり、アレルギーなどの最終確認が口頭で行われた。
「では入室します。」の看護師の声とともに自動ドアが開き、室内に入る。テレビドラマで見たような手術室。意外と広い。部屋の中央にあるヘッドレスト付きの椅子の前まで車椅子で来た。床屋にあるような椅子だ。ふと映画「未来世紀ブラジル」の主人公が座る椅子を思い出す。「この椅子に座り直してください」了解です。ゆっくりと慎重に座り直す。エプロンをして頭にビニール製の帽子をかぶる。頭をヘッドレストに付けるように言われると、背もたれが徐々に倒され上向きに寝るような格好になった。それから指先と上半身に心電図のパッチを付けられた。左腕には点滴も。器械から生きている証の電子音が規則的に聞こえる。気持ちを落ち着かせるために、そうだ腹式呼吸だ。大きく息をする。同時に右眼周りが穴開きの水色のカバー状のものが顔に掛けられきっちり接着された。「麻酔の目薬をしますから、大きく眼を開けて下さい。」何回かジャバっと点眼される。そうこうしているうちに、眼の前に非常にまぶしいライトがやって来て右眼を容赦なく照らす。思わず視線を逸らしたくなるが、「最後まで一番眩しいところを見続けて下さい!」と執刀医の強い口調。顔や眼を動かすと失敗に繋がりかねないことを思い出し、分かりました!必死で見つめ続けた。右眼を器材で大きく見開いた感覚は直接はない。やがて右眼に大量の液体が掛けられた感覚。プールの水の中みたい。ちょっと右眼周りに変な違和感がある。たぶん水晶体を吸い出す管が差し込まれたのか?痛くはない。眼の中を自分で直接見ているような赤と黄色のマーブル模様の世界が見え、その先にさっきから必死に見続けている眩しい光源がある。何度か右眼の中を棒で掻き混ぜる感触を感じる。正直気持ちの良いものではないが、やはり痛みは無い。15分ほど経ったのか、「はい、終わりました。右眼は眼帯しますね。」大きな白い綿布が右眼を覆いテープで固定された。「気分はどうですか?」「特に悪くないです。ありがとうございました。」とは言うものの左眼はメガネもしてないし強度近視なので周りは良く見えない。でも執刀医が流し場で両手を丁寧に洗っている後ろ姿がぼんやり見えた。点滴をしたまま自分で車椅子に座り直し看護師に押された車椅子のまま病室に戻った。
とりあえずベッドに横になると看護師が「もうすぐ点滴終わりますね。明日は左ですね。明日朝起きたら、今日と同じように左眼に点眼して下さい。右眼は朝診察の後、眼帯を外しますから、やはり点眼してください。左右で点眼スケジュールが違うので、あとで表にして持って来ますね。」術後の感染症による失明の危険性を防ぐ大事な点眼だ。その晩は麻酔が切れ右眼がゴロゴロ痛かった。
手術後の診察
翌朝の診察で術後異常無し、右眼の眼帯は外され、保護用のメガネを装用する。眼が痒くなったら滅菌済みの濡れコットンで軽く拭く。昨晩の痛みも軽くなった。今日の午後、左眼の手術なので、左右で目薬の点眼スケジュールと種類が違う。表を作ってくれて、その通り点眼した。左眼の手術は昨日の右眼より少し痛みがあったような気がしたが、無事終わった。二度目だと精神的にも楽だった。左眼も今晩ひと晩眼帯だ。明朝の診察で問題無ければ退院の予定だ。
そういえば今回の入院でひとつ失敗したことがあった。枕元のキャビネットの貴重品入れの引き出しの鍵を失くしたのだ。新しいパジャマに着替えた時、鍵を古いパジャマのポケットに入れたまま出してしまったのだ。気がついたのは1時間くらい経ってからで、看護師が病棟の回収袋を見てくれたがすでに無い。なんと全病棟の回収されたパジャマが集まる地下室を探してくれた。お忙しいのに大変な迷惑をかけてしまった。30分位経って担当看護師と看護長がやって来て、持っている鍵を引き出しの鍵穴に差し込んだ。開きました。「申し訳ありません、ありがとうございます。」と謝った。パジャマを回収した看護師もポケットを確認しなかったのだが、看護長から「お互い気をつけましょうね!」とやんわり注意された。それからは鍵を手首に付けるようにした。
あと、私のベッドの真向かいの若い男は、数日後手術のようだが、以前ここに入院した時に無断で外出したらしく、トイレ以外病室を出てはならないと看護師から厳命されていた。今度そういうことを起こしたら警察を絶対呼ぶとまで言われていた。またその若い男は熱があり風邪っぽいというのでコロナ検査も受けていた。陽性だったらやだなあと思っていたら、翌日陰性と言われた。が1回の検査だけでは確定しないからと脅かされていた。
そして退院
朝が来た。午前6時起床。窓からそろそろ日の出だ。お決まりに点眼後に診察がもう始まる。まだ7時半過ぎ、医師も大変だ。異常無しで左眼の眼帯も外れた。相変わらず保護用メガネを就寝中も掛けている。私の場合、近方にピントを合わせた眼内レンズなので、確かに眼前30センチのところが一番良く見える。そして特に白内障の右眼の霞が取れたのが一番うれしかった。右眼の黄斑浮腫のせいで、多少左右の鮮明度に違いが出るかもしれないという指摘。将来もし黄斑浮腫が悪くなったら対処すると。でも術前より効き目の右眼の視力が改善され、以前の強度近視に比べると度数が3分の1に軽減された。今後はかかりつけ医で診察を受けることになる。落ち着いたら遠近両用メガネを掛ければ不便はなさそうだ。入浴洗髪洗顔飲酒は1週間禁止。1日5回の消毒のための点眼は忘れずに続けること。1日5回ってイスラム教のお祈りのようですね。点眼忘れないようにアザーンで知らせてほしい!
いろいろ注意を受けて、1週間後の診察の予約をして病室に戻り、退院の身支度を始めた。退院時刻が決まったので、相棒にクルマの迎えの依頼をスマホで連絡した。短い入院だったが、病院スタッフのおかげで気持ち良く過ごせたし、何よりも見えるようになって本当に良かった。皆様ありがとうございました!
混雑した病棟のある建物を出て、しばらく歩いて行くと、冬の陽だまりの中、向かいに喫茶と食事が可能なガラス張りのカフェが見えてきた。
おわり