沼に沈む
明け方です
この記事は一応昨日の分ってことで書いている
なんかとりあえず1週間で7個書いたら毎日noteってことにしようかな
マイルール(甘すぎるだろ)
でも一応当日のうちに書き出してはいる
仕上がるのが日付を越してからってだけだから許してほしい
てか、私がそれでいいと思ってるからいいや
なんか今日(昨日)は、沼に沈み込んでしまった
1日の終わりに
沼っていってもほんとの沼じゃなくて
概念?的なもの
生活してて、ふと、なんの前触れもなく
ぐらっと崩れてどぼんと落ちるイメージ
精神的に、深いところに沈み込んでしまう
なんの前触れもなくっていったのは少し語弊があるな
原因はある
例えば、日々人から言われた言葉とか、SNSで誰かが誰かに言った言葉とか
世の中で起きたこととか、自分を取り巻く環境とか
そういったことから食らってできた少しずつの歪み(ひずみ)が
ある一定のポイントでぶつんといってしまった結果なのだ
ただ、その”ぶつん”がいつくるかわからないという意味での、前触れがない
沼に落ちると、思考回路が鈍くなる
心、思考停止という感じ
苦しいとか辛いとかじゃなくて、むしろそういった感情であってくれた方がわかりやすいぐらい
何も感じないというか、何が辛かったのかわからなくなる感覚に似ているかも
めそめそ泣いてる自分を俯瞰して見ている感覚にも近い
ただもう、下へ下へ沈み込んでいく
もがく気力もなくて
そもそも、もがいたら余計に苦しいし
もがいたところで浮かび上がらないし
こういうときはもう、ただ黙って背中が底につくのを待つ
何が辛くてこんなことになっているのか
どこまで自分嫌いになったらいいんだろ〜とか
なんで私はこういう人間なんだろ〜とか
そういうことを脳味噌の遠くの方でちらちら思いながら
でも結論なんか出ないし、うまく思考が組み立てられないし
自分の意思で他人の頭でものを考えてるみたいな感覚
底につくと、自分が落ちてきた方をぼーっと見る
水の中から水面を見上げるような感じ
きらきらはしていなくて、ぼやぼやしていて
そこから、”精算”がはじまる
頭の遠くの方で、歪み(ひずみ)と、自分の感情を照らし合わせていく
このとき、どう思ったか
あのとき、本当はなんて言いたかったのか
痛みを自分のものとして、感情と結びつけて落としこんでいく
体に慣らしていく作業
日頃ちゃんと処理しきれなかったものを、しっかりと自分の中に染みこませる
きっと、日々何かあるたびにちゃんと精算できればこんなことにはならないんだけど
やっぱり向き合うってすごく体力も気力も使うし、次から次へと降ってくるから追いつかないしで
なんとなくずっと痛いまま、適当に絆創膏貼ってやり過ごす
その結果、膿んでこうなると思っている
この作業が一通り終わって、自分の中で何かしらの結論が出ると
ふぅっと沼からあがることができる
今ちょうどそこ
あがってこられた
よかった
沼に沈んでから浮上までのスピードは年々あがっている
これが大人になるってことなのかなあ(小並感)
沼に沈むのは、別に苦しいことじゃないし
私が生きていく上で必要な現象だと思っている
ちゃんと前を向いてまた歩いていくための時間
今日はそんな話
なんかものすごく私的な概念を書いてしまった
通じなかったらごめんね
おわり
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