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映画『占領都市』から考察するオランダの都市レジリエンス
※以下ネタバレあり。
映画について
あなたが目撃するのは歴史ではなく"現在"。10万人以上の住民が虐殺された恐怖の記憶を現代に"復元する"35mm撮影・4時間11分の大作。
オランダの首都として栄えたヨーロッパ屈指の大都市アムステルダム。運河が流れる「水の都」としても知られる風光明媚なこの街には、第二次世界大戦中の1940年5月から5年間、ナチス・ドイツの占領下におかれた恐怖の記憶がある。この間、人々は人権や言論の自由を奪われ、ユダヤ人を中心に多くの犠牲者が出た。有名なアンネ・フランクのように強制収容所へ移送された人は10万7千人。統計では、その内の実に10万2千人が虐殺されたとされている。「二度とこうした歴史を繰り返さないために」と映画化を構想した…(中略)…アムステルダムを第二の故郷として暮らすマックイーン(監督)が目指したのは、単なる知識や情報としてではなく、場所をして語らしめ、当時の記憶を鮮烈に蘇らせるような映画。アーカイブ映像の使用やインタビューによる回想はあえて使わず、35mmフィルムで130ヶ所にも及ぶ「現場」を正確に捉えることで、計り知れぬ恐怖の日々を体感させる。子供たちの声が響くにぎやかな公園、美しいレンガ造りの家…それらの美しい風景も、忌まわしい虐殺の記憶を持っている。これは、約80年前の過去と現在との距離を取り払う挑戦であり、マックイーンとA24にしか到達しえないスケール感と野心に満ちた記念碑的な映画だ。
特に導入はなく、130もの場所の記録が淡々と一人の女性によって語られていく。その最初の1か2レコード目で、アウシュヴィッツ収容所をKilling centerと呼んでいて、ステートメントだなと思った。全体を通して事実を装飾せずありのままに語るストーリーテリングがとてもオランダらしい映画だった。多くの語りの最後に"Demolished."がつけられるのだが、当時の規制が撤廃されたり、場所が取り崩されたり、人が亡くなっていたりと、過去に確かに存在した対象の不在が、まるで座標をそのままに背景に溶け込んだような感覚がした。
Takeaway:オランダの都市レジリエンス
都市レジリエンスとは、都市がどのような慢性的ストレスや突発的ショックに見舞われても、生き残り、 適応し、繁栄するための総合的な能力を表す概念である。言わずもがな、都市ごとに問題に対処する各々のレジリエンスがあるのが大前提である。
本作を鑑賞して思い浮かんだことを著者自身のオランダ在学時代と重ねているうちに、オランダの都市レジリエンスのうちの一つとして、ある仮説が脳裏に浮かび上がった。どんな状況下でも最大のAgencyを保証された人々(=原住白人オランダ人)が、良識のある市民であり、弱者の生存をまもる存在であることが、オランダのEquilibrium(均衡)を保つ構造なのではないだろうか。
ホロコーストを生き残ったユダヤ人(と当時同時に虐げられていた有色人種)は、ユダヤでない白人オランダ人という(数・権力の両方における)マジョリティがいてこそ助かった命たちである。留学中に、白人純血オランダ人たちが人種ピラミッドの上に立っているように感じて嫌悪感を覚えていたが、それは都市のレジリエンスから見たときに必要な要素だったのかもしれないと、ふと思った。
私がオランダにいる2年間で付き合いのあったオランダ人たちは、マジョリティ人種であることを思わせる落ち着きとおおらかさがあった。オランダ人は全体的にChillなところがとっても好きなのだが、これは合理的な民主主義国家である自国において自分たちは自由に暮らせるという自信の表れでもあるように目に映った。その落ち着きは時にして、見る人によっては、マイノリティが経験する息苦しさを対岸の火事として傍観しているようにも捉えられるかもしれない。その様子から白人オランダ人を「結局はRacistだ」と呼ぶ人も多かろう。
しかし、そうばかりではないのだ。もちろん中には一部そういう人もいるが、私から見たほとんどの白人オランダ人は、(日本人から見たら豪華とは程遠いオランダ流の)おもてなしが好きで、隣人や弱者をよく助け、必要に応じて声を上げることや規律・ルールを良い意味で破ることを厭わない人たちである。これが上記で書いた良識のある市民ということである。マイノリティが困った時に手を差し伸べ、屋根の下に招き入れる経済的・心理的余裕を彼らは持っている。この余裕が(ある人には白人至上主義に見えるが)、社会の均衡を保ちオランダをレジリエントたらしめる重要な要素の一つなのかもしれない。
戦時の記憶を引き継ぐオランダの現在地
さて、都市を襲う慢性的ストレスや突発的ショックは戦争に限った話ではない。この映画も、コロナウイルスや気候変動、プーチンのウクライナ侵攻といった現代の不確実性の最中にあるアムステルダムに、戦時の不確実性を重ねた語りとなっている。ホロコーストという悪夢を経験したオランダは、これらの不確実性にどのように向き合っているのか。
作中、戦時の犠牲者を追悼するある集いで、政治家の女性(詳細は忘れてしまった)が、ここような発言をしていた。「オランダが植民をしたという歴史的事実がある。今の私たちにできることは、過去に植民した国・地域とどう共生するかを探ることではないか。」
その少し後、気候正義のためのデモの行進のシーンで、アフリカ系や南アジアの人々がそれぞれのバックグラウンドを垣間見せていた。ダンスやドラムのビート、歌など、各々が自由に表現をしてて、このデモという時と空間が地球上に散在するあらゆる文化の祝祭として立ち現れた。そこに支配者/被支配者、オランダ人と移民、肌色や信条の違いを超えた人類としての一体感があった。
最後のシーンでは、ユダヤ教の成人式バーミツバ(Bar Mitzvah)だと思われる儀式の様子が映し出される。その主人公となる男の子は、黒人と(おそらくユダヤ系)白人のハーフだった。
現代のオランダは、あの政治家が述べていた通り、植民者としての過去やホロコーストといった、負の記憶との共生の実践という歩みを着実に進めている。