ゼウスが人間を切り裂いた理由

なかなか衝撃的なタイトル。笑

前回の記事の続きです。


アリストパネスの物語では、原初の人間たちは力が強く、神々に挑もうとしたことが描かれています。

ゼウスはその反逆を抑えるために人間を切り裂きます。

ギリシャ神話において、神々は常に人間の上位に位置し、その支配を維持しようとします。力を持ち過ぎた人間は神々の秩序を乱す存在となるため、抑え込む必要があったのでしょう。

しかし、ゼウスが人間を切り裂いたのは、謙虚さを忘れた人間への警告とも考えられます。

ゼウスの行為は、原初の人間の完全性を破壊しましたが、それが新たな調和を生み出す契機となります。調和とは、愛を通じた結びつきのことです。
愛を求める欲求が生まれ、人間は初めて「他者と共に生きる」存在となったと考えられます。

切り裂かれて初めて欠如を感じる存在となり、それが成長や発展の原動力となる。
この視点では、ゼウスの行為は単なる罰ではなく、成長の種を与えるための行動だとも考えられます。

ゼウスの行為は「個」から「関係を持つ」ことへの移行をもたらせました。

不完全であることが人間らしさの本質だとしたら、完全な存在から人間へと進化させるきっかけだったのかもしれません。


愛が欠如を埋める力。
愛が、人々の成長や社会の調和を促す原動力。


他にはどうでしょうか。もうよくわからなくて疲れてきたので終わります。はやっ😂


誰かを求めること?
欠如を受け入れること?

色々難しいですが、結局のところ、誰かと笑いあうだとか
一緒に作り上げるだとか
そういった瞬間が愛を一番感じる時なのかなと思います。


愛って?

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