性的奉仕という奴隷労働。

 「奴隷制の歴史、ブレンダ•E•スティーヴンソン、2023.8」(What is Slavery? by BRENDA E. STEVENSON)を読んでいる。私の予想通り、日本において表出している様々な性に関する社会問題の根源は、奴隷制にあることが示されていた。
 日本人は自分自身を奴隷であると認識することから始めるべきだろう。アダルトビデオ、ソープランド及びそれら性的コンテンツに触発され、発生したであろう性犯罪の数々は、現代の性奴隷制の表れであると認識すべきだろう。
 性奴隷制を強固に維持することで金儲けしたいと企む既得権益はメディアを支配し言葉狩りを推進してきた。私はレガシーメディアから“性奴隷”という直接的な表現を見聞きしたことはない一方で、隠蔽した表現、例えば、慰安婦、ソープ嬢、アダルトビデオ女優、セクシー女優、といった表現をよく見聞きする。NHKを含む日本のレガシーメディアは、吉原遊郭時代から性奴隷制によって利益を受けてきた既得権益に支配されてきたからである。人間カタログ、吉原細見を著しメディア王にのしあがった蔦屋重三郎がNHK大河に好意的に取り上げられる事実は、この仮定を補強する。
 レガシーメディアが一向に言及しない性奴隷。奴隷貿易に関与した米国では、既に性奴隷について言及されている。流石は米国である。日本のレガシーメディアとは姿勢が異なる。

 奴隷女性と奴隷男性の労働経験のもう一つの重要な違いは、そして、恐らく最も大きな違いは、女性の労働が性的要素を持っていたことである。ほとんどの男性は、多くの女性が直面し、最も恐れていたような、絶え間のない性的嫌がらせや暴行にあうことはなかった。確かに、奴隷の少女や女性は、男性の所有者、監督者、運転手、そして奴隷男性の性的なはけ口として、働くことを要求された。研究者たちもこれをようやく完全に労働の一つだったと認識し始めるようになった。こうした性暴力に関する議論は、南部全域で、また世代を超えて広がったことを証明する相当な証拠があるにもかかわらず、今もなお、激しく続いている。奴隷労働者という「新しい作物(new crop)」を生み出すために奴隷女性の肉体を利用することは、性奴隷化という現象のほんの一部に過ぎなかった。奴隷女性と接触した主人やそのほかの男性は、性行為の要求に応じることを期待し、また、しばしば要求した。それは文字通り仕事の一部となり、奴隷女性にとって大きな苦痛の源となる最も破壊的なトラウマの一つだった。

「奴隷制の歴史、ブレンダ•E•スティーヴンソン、2023.8」、P219

 まさに現代日本が直面している問題と同じだ。奴隷貿易の怖い所は、権力者が全ての行為を容認していたことだ。現代日本もそうだ。日本の司法は、性的行為の強要に甘い判決を下しているのだ。

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