東京战争戦後秘話
大島渚監督の1970年劇場公開作品。
ここでいう「東京战争」とは、1969年11月17日の羽田闘争に対する赤軍派の呼び名だという。佐藤栄作首相による日米安保条約の延長協議のための訪米を阻止するための抗議活動で、機動隊により制圧され、2500人に及ぶ逮捕者が出た。全共闘および新左翼による大規模な大衆行動はこれを最後に収束に向かう。
ただ、一般的には、赤軍派によってなされた同年9月30日の東京における騒擾のことを「東京戦争」と呼ぶ。同派の唱える武力革命のための武装を準備する目的のために警察などを襲撃するというものであった。
この映画においては、「東京战争」を全共闘中心の新左翼運動の終焉の象徴として扱っているため、赤軍派の前段階武装蜂起の活動ではなく、佐藤栄作首相の訪米阻止闘争の学生運動の敗北を指すものとなる。
大島渚監督の70年当時の言葉がある。
「60年代の闘争は昨年11.17羽田闘争で終わりを告げた。それ以後の若者はもはや戦後派だ。これら戦後派の作る若者の夢を通じてわれわれが80年代にどうかかわり合うかを問題にしたい」
この映画には副題があって、「映画で遺書を残して死んだ男の物語」がそれで、主人公の元木象一はその男の残した映画の意味を探ろうと行動を起こす。
1970年4月28日、象一は4.28沖縄デーの闘争記録を制作するために、映画製作の仲間とデモの現場に来ていた。その撮影中に私服警官から奪われた仲間のカメラを取り戻そうと、象一は警官の乗りこんだ車を追いかける。地下のトンネルの中を進むその車を追いかけているうちに、象一の意識は、まるで夢の中のように、「カメラを追いかける」という行為は同じでも、別の場面の自分へと変容していく。その中で象一は、記録映画の撮影のために使うはずのカメラで、なんの変哲もない東京の風景を撮影している男からカメラを取り戻そうとする。闘争という「状況」を映像として記録するためのカメラで、日常の「風景」を撮影している男に憤りを覚えながら、その逃げる男を追いかける。男はカメラを手にしたまま駆け出すと、国会議事堂近くのビルの屋上から身を投げて、自殺する。象一は、死体のそばにあるカメラを拾って、現場を去る。そのカメラに記録されていた「遺書」を象一は読み解こうとする。
フィルムに収められた遺書となる映像は、「映画」と呼べるような内容ではなく、ありきたりの風景を空回ししたようなものばかりだった。「映画」というからには、そこには筋書きや登場人物、科白などが必要となるはずだが、この遺書となる映像は、映画としての要件を満たしていない。だが、象一はこの何の変哲もない風景ばかりの映像の意味を懸命に模索する。実際の風景の現場に赴き、何故この場所を選んで撮影したのか、自殺した男の身になって考えようとする。
では、自殺した男とは一体誰だったのか。それが、象一の中で変遷をたどる。最初は、警官からカメラを取り上げられた高木という仲間だと思っている。だが、高木は、足を挫いただけで生きていて、仲間の活動に参加している。その高木は泰子という女の恋人だと象一は言う。だが、泰子の恋人は象一自身なのである。
象一の意識の中では、闘争を記録していた高木という仲間と、風景を撮影していた自殺した男が混同したものなっている。この錯綜した象一の意識を中心に映画は描かれていく。カメラに残された「風景」を、東京の地図を戦闘地図に見立てながら、ひとつひとつ虱潰しにしていく。すると、その「風景」が最終的に集約される場所は、象一の自宅の窓からの景色の映像になる。象一の裕福な自宅の自室の窓からの「風景」が、自殺した男のカメラに収められていたのである。そして、最後に象一が向かうのは、男が自殺したビルの屋上である。そこでは、恋人の泰子が待ち構えたように、象一の行動をじっと見つめている。
自分の死を予見したために、自らその運命に飲み込まれていくという物語の流れは、どこかニコラス・ローグの「赤い影」を思わせる。この映画では象一は革命という非日常を夢想しつつ、「風景」という日常の中に埋没することを拒否して、死を選ぶ。その動機が「恋人の目」というところが、新左翼運動のあまりにナイーブな一面を抉り出しているように思われる。