相手を謙遜させないほめ方。そしてわたしもhappyになる。
数年前から「日本人の自己肯定感をあげよう」という活動(?)がよくみられるようになりました。
私自身もそのようなテーマのセミナーに参加したことがありますし、自己啓発系の本でもテーマとしてよく取り上げられています。
そしてその中でセットのように取り扱われるのが日本の文化でもある”謙遜”です。
「過度な謙遜が自己肯定感を下げている」ということらしいのです。
ほめ言葉を素直に感じてもらうほめ方
日本人がよく使う言い回し
「いえいえ、わたしなんて…」
これが謙遜するときによく聞かれる言葉です。
セミナーや本では誰かに何かをほめられたときは「いえいえ…」のかわりに「ありがとう」と伝えましょうとアドバイスをされます。
しかしここでもう一歩、ほめる側の一工夫でも、相手は謙遜しなくなります。
たとえば、友達が素敵な財布を使っていたとき。
「素敵な財布だね~」と言っても、「安物だよ」とか「お母さんのお古だよ」とか返ってくることがあります。
ここで、「わたしそういう明るい色の財布好きなんだよね。」とあくまで「わたしの好みと合っている」という伝え方をします。
そうすると相手は”謙遜”しません。
できません。
「明るい色じゃないよ」とは言えません。
事実と違うことは言えませんし、否定することはほめてくれた相手の感性を否定することにつながります。
ほめられた側は、「ありがとう」というしかありません。
そこから、「これは○○というブランドでね…」とか、相手が気をよくして話がふくらむかもしれません。
与えたものは帰ってくる法則
「目の前にいる相手を幸せな気分にすることができる」ってすごく素敵なことだと思います。
それは相手のためだけのものではなく、自分自身にも湧き上がる幸せだと思います。
そして、めぐりめぐって、与えたものは自分のもとに帰ってきます。
相手のためにしたことでも、時間差で必ず自分のもとへ戻ります。
「今日、わたしに起こったこのラッキーな出来事は、過去のわたしの良き行動のお返しだ」と思うと日々の暮らしが少しばかりキラキラしてくるから不思議です。
わたしにとっての”謙遜”
ここまで書いておいてなんですが、わたしは”謙遜”に”卑屈な姿勢”というイメージはありませんでした。
本で著者の方の指摘を読んで、「そんな風にとらえるんだ」という感じです。
わたしにとって”謙遜する人”とは『余裕のある人』です。
あくまでわたしのイメージです。
女優さんなど、ものすごい美人の人が「おきれいですね」と言われて「いえいえ、わたしもコンプレックスがたくさんあるんですよ」なんて返答しているのは、余裕の態度です。
余裕のある人、自分の価値がわかっている人は、誰かの言葉に一喜一憂しない。
自分の価値を自分で決めている人にとっては、「ほめ言葉」も「おせじ」もどちらでもいいことです。
そもそも”謙遜”が日本人の文化になっているのは、そこに意味があるからです。
謙遜し、自分を低めることによって、他人のねたみから自分を守る効果があるそうです。
そこには、「相手に”ねたみ”の感情を持たせない」というやさしさも感じます。
謙遜の言葉はただの防御であって、「自分の価値を認めない」というわけではないのです。
わたしは「謙遜するのをやめよう」と提案している方が間違っていると言いたいわけではありません。
きっと、自己肯定感の低い人の中には”過度な謙遜”をする人が多くて、「それをやめればもっと楽になるよ」と言いたいのだと思います。
ただ、物事はとらえようによって良くも悪くもなるものです。
わたしのように、「謙遜する人は余裕のある人」というイメージを持っている人には当てはまらない提案ということです。
すべての人に当てはまる正解なんてこの世にはなくて、どちらにとるかは自分自身が決めるという姿勢が大切なんだと思います。
どんなことでも、「世界をどう見るか」を決めるのは他の誰でもなくわたしです。
そんなことをあらためて感じます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。