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身につけたい、軽やかさ。

わたしの身近な人で、おもしろい人がいます。その人は、なにを言っていてもおもしろいんです。愚痴を言っているときでさえ、わたしは吹き出してしまいます。

不思議なことに、本人は真剣に自分の気持ちを語っているんです。「こういうことをされて、腹が立った!」と。決して、笑わせようとしているわけではありません。

でも、聞いているこちらには真剣さが伝わってこない。むしろ、ちょっとふざけているようにも見えます。

この人を見ていると、いつも思います。
「この、軽い感じがいいんだよね」って。

真剣に怒っているように見えない。
深刻な話ではないような雰囲気。

愚痴を聞かされると、たいていはこちらも楽しくないです。それに、愚痴を言っている人も運気が低迷してしまいます。でも、この人に限っては、当てはまらないように感じます。笑いの種になってるぐらいですから。


雰囲気って大切です。
軽やかさ”っていいものです。


昨日の記事で書きましたが、わたしはある職場に行くと、違和感を感じて気分が重くなっていました。その理由のひとつに、「なんだか重たい雰囲気を感じる」というものがあったのです。

実際、落ちこんでいる人や怒っている人がいるわけでもないのに、その場所の雰囲気が“軽やかさ”とはかけ離れていたんです。

それは、そこに集まる人の総合的なエネルギーなんでしょう。表面上、なんの問題もなく仕事をこなしているのに、なんだか重たい雰囲気を感じてしまう。

それは、“軽やかさ”に居心地のよさを感じるわたしにとっては、馴染めない場所だったのです。


では、“軽やかさ”ってどうやって作るんでしょう?


わたしが思いつくものをあげてみます。

「・・・すべき」がない。
人間の思考や行動を制限する、「···すべき」は天敵です。
「この方法がいいと思っていたけど、そういった考えもあるんだね!」と受け入れることができる柔軟さ。これが“軽やかさ”です。

そういった人の前ではこちらも自由に発言し、行動できます。押さえつけられることなく自由に行動できたとき、人は能力や才能を発揮できますから、得られるものも大きいです。


❷同情をもらおうとしない。

時折、同情を支えに生きている人をみかけます。「つらかったね」と言ってもらえることに喜びを感じているのです。人の優しさに心地よさを感じているのかもしれません。

これのよくないところは、同情欲しさに次から次へとつらい出来事を引き寄せてしまうことです。無意識のうちに。

本当の喜びは、そこにはないはずです。それに気づかなければ、負のループから抜けだ出せません。

わたしは数年前から「お涙ちょうだい」のような番組は観れなくなりました。なんだか、涙を誘おうとする演出に違和感を感じるのです。

もちろん、困っている人がいて、なにかお役に立てることがあるならば援助したいとは思うのですが、ただ「泣かせよう」という悲観的な趣旨の番組は観ないようにしています。

❸共感を求めない。
❷の同情と似ていますが、人は自分の発言に対して、肯定的に返してくれると、喜びを感じます。仲間がいることで安心するのです。でも、いつもいつもそれを求めると、相手も苦しくなってきます。

相手の発言に制限をかけているからです。無言の圧力って嫌ですよね。自分も自由に発言していいし、相手も自由でいい。そういった雰囲気をつくることで、よい人間関係を作れるのです。


❹「とりあえず○○してみる」という思考。
「とりあえず、自分の希望を言ってみる」これができるかどうかで、その後の展開がかなり変わってきます。

わたしは「とりあえず言ってみる」を意識することによって、仕事で時給を上げてもらったり、配置転換をしてもらったことがあります。案外、すんなりいくもんです。

以前はこれができませんでした。「とりあえず言ってみる」「誰かに相談してみる」ができないばかりに、ひとりで抱え込んでしまって、最終的に辞表を提出するということもありました。

とりあえず言ってみたところで、自分の希望が通るとは限りません。それでも、「この人は、そういう思いを抱えているんだな」と認識してもらえるだけでも、別世界です。

希望がすべて叶わなくても、妥協案が出てきたり、負担が軽くなったりすることだってあります。

「とりあえず」って、なんだか妥協しているように聞こえる人もいるかもしれません。でも、物事を0から急に100にするって結構な勇気と体力が必要です。

助走としての「とりあえず」をじょうずに使っていきたいものです。



ここにあげたものは、以前のわたしが身につけていたものです。わたしは「···すべき」が強く、人の同情を求め、自分の意見に同調してもらいたくて、さらに自分の希望を伝えられない人間でした。

これらを握りしめていたときは、まわりの人に緊張感を与えていたと思います。なんだか、重たい雰囲気をまとっていたのです。なんでも深刻に考え、しょっちゅう「この問題について考えましょう」と提案していました。

緩さがないのです。
今考えると、申し訳なかったなって思います。


でも、上にあげたものを少しずつ手放していくと、なんだか肩の力が抜けてきました。神経質な人から、温厚な人へ徐々にシフトしていったのです。

そこでわたしが次に求めるのは“軽やかさ”です。一緒にいて気楽さを感じられるような人になりたいのです。

怒っていても負のエネルギーを出さないような、そんな“軽やかさ”を手に入れたいです。

身につけたい、軽やかさ。


ステキな一日を★

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