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幸福感のある愛し方
愛したいか、愛されたいか
夏が好きか冬が好きかのように、そんな質問があったように思う。
愛されるより愛したい
そんなフレーズの歌もあったっけ。
少し前までは愛されたかった。
人気者のあの子のことをどこかで羨ましくて、みんなから好かれているっていうのは、何もせずとももたらされる無償の愛だと思っていたのだと思う。
それって変なことなのかなと思って調べてみたら、様々なアンケートで女性の8割近くが「愛されたい派」のようだ。「女性は追われてなんぼ」「追いかける恋愛は疲れた」のような回答が見られた。
これは恋愛に限った話かもしれないけれど、みんな愛されたいんだなと思った。
でも今は、私は愛する側でいたい。
もっと適切に私の気持ちを表現するとしたら、愛を与える側にいたい。
というのも、色々な人を見ていると素敵な人は愛を与えている人、成功者はgiveを躊躇わない人ということが分かってきたからだ。
私の大好きな友人はみんなから親しまれていて愛されている女の子。
なんでそんなにも愛されているんだろうと考えたとき、彼女は周りの人への恩を忘れていないことに気づいた。どこかでちゃんと返しているし、むしろ大きな愛を友人たちに与えている。
だからこそ、私たちは彼女にさらなる愛を返えそうと(これは義務として思っていない)、ますます彼女のことを好きになるのだと思う。
ユーチューブの動画を見ていると「giveする人になろう」という趣旨のものを最近よく見かける。
その中ではおおよそ
・長期的にはtakeよりもgiveする人が成功する
・見返りを求めず自主的に与える
・搾取されないようにgiveする相手を選ぶ
・相手のことも考え自分のことも大切にする
・giveはほめる、頑張る人をを見つけてあげる、話を聞くでもよい
という内容。
言語化されて、初めてなるほどと思った。
良かれと思ってなんでも「やるよ」と自己犠牲型であったとき、自分の中の幸福感は乏しかった。要は「搾取されている」状態であり、他人は都合よく扱い、自分は気づかないうちに疲弊して、「私はこれだけやったのに返してくれないの」と人に対して不信感を抱いていた。
それが、ちゃんと恩を受け取ってくれるような人に愛を与えているとその場で多少の損をしたとしても、愛を与えたという自己肯定感と先になっても何か返ってくることに満足感を感じる。
これは多くの人は均衡型のマッチャーであることが多いことで証明されており、「何か返さないと」の精神が「お返し」として自分に返ってくるのだと思う。
適切なgiveできる人が幸福感が高いことが私自身の経験からもわかったことが、与える側にまわりたいという気持ちを大きくしている。
「お返し」を享受しなくても、たぶん、能動的に動くことが人生を好転させることに繋がっている。
自分を大切にしながらも、大事な人たちのことを大切にする。
自分にもちゃんと満足感がある愛し方をしなきゃ、本当の幸せは訪れないだろうなと思う。
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