残像日記7
九月某日
とても暑い日。たい焼き屋で高いかき氷というものをはじめて食べる。今までのかき氷とは全くちがうものを食べている!と静かに興奮しつつ、真剣に、集中して食べる。黒みつきなこミルク小豆。来夏も食べられるといい。
十月某日
電車に乗って隣りの市の図書館へ行く。詩の棚をじろじろ見て、九冊の詩集を借りる。重いがうれしい。うれしいが重い。寄り道せずに帰る。
杉本真維子『裾花』
峯澤典子『微熱期』
暁方ミセイ『ウイルスちゃん』
マーサ・ナカムラ『狸の匣』
藤原安紀子『どうぶつの修復』
森本孝徳『零余子回報』
欲張ったな、と思う。
十月某日
映画館でヨルゴス・ランティモス監督の『憐れみの3章』を観る。誰もいなくて貸切だった。観終わったあと、貸切だったのがなんとなく理解できたが、とても好きな映画だった。どの話も死が纏わりついていた。酷な場面がうつくしくて忘れ難く、生活のふとした瞬間に思いだしている。
十月某日
江國香織『ウエハースの椅子』を読む。最近は詩集ばかり読んでいたから小説は久しぶりだった。モディリアニの絵について。主人公の母は描かれる女たちが不幸そうなところに惹かれると言っていたが、主人公は本当に不幸か幸福かは誰にもわからないと言っていて、私も同じように思っていた。若い頃、映画かドキュメンタリーかで、妻と娘夫婦、その子どもたちと一緒ににぎやかに暮らすおじいさんが、こんな幸福が続くわけがないと言って、自殺したのを見た。本当はひとりで静かに暮らしたかったのかもしれない。それは誰にもわからない。あの人は自殺したから不幸だったとか、家族みんなに見守られながら亡くなったから幸福だったとか、そうわかりやすくこの世界はできていないということを知った瞬間だった。
最後のほうで主人公がゆるやかに死の方へ向かっていたとき、おそらく恋人によって死から遠ざけられたが、それがよかったかどうかはわからない。わからないので考えている。