2023年のにんじん
2023年は、わたしになりたいな。
わたしって誰なんだろう。
わたしが何人もいるってのは自分に当て嵌めてそうだなって思う人もいると思う。
じゃあ、ここで今生きているわたしは誰?
わたしが生きたいと思っているわたしは生きていますか?
師走になって少しずつざわざわしていた。
2022年は本当に流れるままに生きていた。
流れる道には泥濘もあったし、軽やかな青空もあった。お花畑の上を飛んでいることもあったし、嵐の中進むしかない時も停滞するしかない時もあった。
長期的な理想のわたしを求めて動くわたしはいなかった。
理想のわたしなんていうと大袈裟だけど、要するにわたしの生きたいわたしになりたいのだ。
ベッドでポテチを食べててもいいけど、その姿が豚になっちゃいけないし、胃もたれして吐き気を催してもいけないのだ。
落単しそうでもいいけど、それでヒィヒィ言いながら勉強するドMな私になってほしいのだ。
わたしをわたしの生き方という理想郷でずっと生きててほしいのだ。
もちろん生かし続けるのは無理だけど、でも、それを怠るのは死んでいるのと同然なのではないか?
そこまでは言わないけれど、最近心がざわざわするの
わたし、このまま歳取って楽しいのかなあとか、そもそも生きてて楽しいのかなあとか
でも生きたいわたしってのは決して届かなくて、それを指すのがにんじんで
多少太ってたってバカだって、思春期の頃のわたしがいやがる私になったって構わないから、にんじんをぶら下げたい。
もっとわたしって貪欲だったよな、美にも食にも性にもなににもさ
ちょっとざわざわするから走ってみたい
師走は過ぎたけど