生から死への道
昨日お会いしたリリコイさんが
「最近ぐっとする曲」と話していた歌、聴きたいな。
と思いました。
「若い頃に聴いていた時とまた違って聴こえて、涙しちゃう。」と。
帰って、夫に「ビートルズのわーにんぐろーど」って知ってる?と言うと、
夫はすぐに歌いながら、
知ってるでしょ?と言ったので驚きました😳
英語で歌ったことも。
メロディーと歌詞がすぐ出たことも。
私が知っていたことにも…!
The Beatles
"The Long and Winding Road"
昨日、リリコイさんにお会いしたのは、
noteで仲良しになった人達のオフ会2回目があったからでした。
(仲良しオフ会のメンバー、キャラメロさんは今回は仕事で来れず、お会いできず残念だったぁ〜〜〜)
そこでのことを、
京太郎さんがnoteに書いてくれて、よかったです✨
最近ずっと、モヤモヤしていた悩みが、少し和らぎました。
どうもありがとうございます!
「生と死」というものに、どうにもできないモヤモヤと苛立ちが、最近の私には、すごくある。ということに気がつくこともできました。
生まれてくるのも
生きることも
ある程度、順序がわかる。
準備して、愛と希望に心をふるわせ、人とかかわる。
でも
「死」は突然で、ひとり。儚い。
とってもそれが悔しい。と思っていました。
辛くて悲しい。やるせない。
もう会えない淋しさをどうすればいいのか。
怒りすら感じる。
なんで人は弱るんだろう。
なんで体が自由にならなくなるんだろう。
なんで生は死へとつながっていくんだろう。
亡くなると、その存在の大きいこと。
思い出の多いこと。
身体も消されてしまう。存在は大きい。
こわい。悔しい。なんだよ。
気持ちがついていかない。
楽しかった。優しかった。過去形になってしまう。
なんで悲しいんだろう。
近くで生きてるものが、死なないか、死に近づいていないか大丈夫か不安になり、心配になる。
急に1人になったパートナーは、ものすごく淋しさと戦っているのがわかる。
そう。残された私達は、違和感だらけ。
「残された」って、何に残されたんだ?なんて、変なことも考えてみたり。。
「生も死も神様が決めること。自分が考えたって仕方ない」と、昔は父がよく言っていたっけ。。
去年まで、父の弟が数人、病気で続けて亡くなり、
残された年上の父が悲しんで、弱々しくなってきました。
自分は長生きし過ぎだ。なんで長く生きるのだろう。
そんなことを口にするようになったのです。
毎日、楽しいことはある。
でも、元気な時代は心も体も強く、
まさか、母や兄に介護されるなんて。
そんな自分を
きっと少しも想像もしていなかったんだろう。
毎日
ありがとう。と涙を流している父。
92歳になった父に、
認知症っぽい雰囲気も入ってきました。。
頭が良くて、物知りで、強くて明るくて行動的な父が、
なんで???
私は、それも悔しくて悲しくて、なんとかしたい気持ちでいっぱい。
モヤモヤが、どうにもならない悩みがストレスになっていました。
でも
京太郎さんがnoteにしてくれた記事の1番のコメント、
リリコイさんの言葉に私はグッと気持ちがつながる。。
ポールマッカートニーが歌ってる歌詞について
「今の私が涙する意味は、生から死への道、ドアは天国への扉です。
曲がりくねった道は、私をこの神の国へと導き道程だったことに気付かされました。」
なんか、リリコイさん、
私のモヤモヤした生と死の怒り、溶かしてくれたのかも。
まだ私は未熟だけど、
神様がその人によって違う死への道を、準備される感じ。
つながった気がしました。
神様は、天国のドアまで、
ちゃんと自分で歩いて行けるように、
それぞれの人に合った、生から死への道に導いてくれているのかもしれない。
生は、生きてる人との関わりで、
死は、神様との関わりなのかも。
なんて。
リリコイさんのコメントから、私は少し救われました。ありがとうございます。
音楽や歌詞、芸術は、ほんと不思議。
生と死、神様に繋がるんだ。