母という呪縛 娘という牢獄
当時ニュースになったこの事件、
なぜ、その娘は母親を殺さねばならなかったのか、
その母は娘に殺されなければならなかったのか、
わたしも、母にとっての娘であり、ムスメにとってのハハであるためにとても興味深く、この一冊を手に取りました。
思いのほか、あっさりと読み終わってしまいました。
その母娘には、どちらにも、共感はできないまま。
わたし、前職では、幼児教室の講師をしており、たくさんの親子と出会いました。
賢さ(賢そうに見える、というのもあるだろうけど)や、お行儀の良さについて、自分のこどもだけが【特別によくできて】良い子だと思っている痛々しい親御さんは、いました。
小学校受験をさせる子どもに、その、親の出身校である有名校でなければ学校ではない、と言った親もいれば、
他の子を誉めた講師に、「うちの子も褒められたけど、うちの子はあのこ(なんか)と同じレベルですか」と問い詰めた親もいます。
逆に、もちろん、子どもを尊重し、適正を見極め、将来の選択肢が拡がるように導き、促している親御さんもいらっしゃいました。
お絵描きのレッスンの前に、「おもいっきり汚しておいで」と送り出せるような親御さんは、素敵だな、と感じたものです。(お絵描きのレッスンだから、汚れてもよい服装で送り出し、汚しておいで、とおっしゃっていて)
どこも他人の家庭なので、とやかくいうことはないのですが、わたし自身も子育てをしているので、いろいろと思うところはありました。
ムスメが小さい頃は、
わたしがひとり親で育てていることもあり、
なにかにつけて「ひとり親だから」とか「ひとりっこだから」と言われてしまうのではないかと、わりと厳しく、それが躾というのかわからないけれど、厳しくしていたと思います。
習い事もいろいろさせて、お勉強も、そこそこできて当たり前だと思っていました。
宿題しなさい、
部屋を片付けなさい、
勉強しなさい、
それはたぶん、どこのご家庭でもあまり差がない程度に、言ってきました。
小さな嘘をついたことを厳しく咎め、
わたしはあなたのためにこんなにがんばってるのに、と、言って泣いたこともありました。
わたしの母は、常にやさしく、わたしのよき相談相手であり、理解者であり、味方でいてくれていたので、母のようなハハになりたいと(なかなかとても難しそうなのですが)思ったことや、わたしにはほんとうによい友達たちがいて、「ふみちゃん、それはちょっと厳しすぎだよ」とか「もっとこう言った方がいいよ」と注意してくれたりもしたこと、ムスメの携帯電話の使い方を厳しめに制限していた時に、友達の子どもで、ムスメの同級生が、「ふみちゃん、子どもには子せかいがあるよ」と否めてくれたこと、幼児教室で様々な親子に出会ったことは、その後のわたしの子育てに、信念のようなものをもたせてくれました。
ムスメはムスメ。わたしはわたし。
あなたはわたしとはちがう。
それを自分のなかではっきりさせたことによって、わたしの子育てはずいぶんと、気楽で自然なものになったと思います。
うちのムスメ、成績はオール3ですけど、たのしそうに過ごしています。
将来はどういう道がいいかな。こういう道がいいんじゃない。と話あって、進学先も決めています。
悪いことをせずに、嘘をつかずに、ひとに迷惑をかけないように、元気に生きてくれたら、いいじゃないですか。
子どもが一生懸命勉強するのは、親の鼻を高くするためではありません。
子どもがお医者さんを目指すのも、親の鼻を高くするためではありません。
教育虐待。
それは、誰のために?なんのために?
きっと、殺さずに済んだ。
きっと、殺されずに済んだ。
両方の狂気と暴走を、誰かが止められた。
きっと。
そう思うとせつない。
そんな、ルポルタージュでした。
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