変わらないことの美しさ/変わることを受け入れる美しさ
こんにちは、"_dawn_"です。
先日の金曜ロードショーで『トイ・ストーリー3』が放映されました。昨日は『バズ・ライトイヤー』でした。私もピクサー映画の中でも大好きなトイ・ストーリーシリーズ、今回はそれについて投稿します。
本シリーズは、一貫して流れるテーマに沿って完璧なラストを迎えた『トイ・ストーリー3』と、その後に衝撃的な結末に賛否の分かれた『トイ・ストーリー4』について、語られることが多いです。
結論から言うと、私は『トイ・ストーリー4』好き派です。3と4はそれぞれ別の共感ポイントがあり、対比させて言うなら、3は変わることのない美しさ、4は変わることを受け入れる美しさがあるように思います。
シリーズを通して一貫した価値観
おもちゃ達が担い続けた尊い役割
本シリーズには、一貫して「おもちゃは大切な子どものために存在する」という価値観が根底にあり、ウッディはそれを体現してきました。
1作目では、新しいおもちゃバズの登場でアンディから飽きられそうになるも、バズと共存することでアンディのおもちゃとしての存在意義を保ちました。
2作目では、プレミアがつくレアおもちゃということで、ウッディは博物館に飾られる道を迫られます。が、やはりアンディのおもちゃであり続けることを選択します。
そんなウッディですが、3作目にしてついに、アンディの成長に伴って遊んでもらえなくなるという事態に直面します。
それまで体現してきたおもちゃとしての存在意義を揺るがす危機。ですが、冒険劇の末、最後はボニーに貰い受けてもらうという、奇跡の結末で幕を閉じました。
アンディが名残惜しそうにウッディをボニーに託すシーンは、涙した方が多いのではないでしょうか。
ボニーという大切な子どものために存在することで、ウッディは一貫した役割を担うことができたのです。
奇跡が奇跡である所以
この奇跡の結末がなぜここまで見る人の共感を得るのか。それは、その奇跡の「奇跡っぷり」に共感できるからなんだと思います。
というのも、誰しもが子どもの頃に大切にしていたものがあって、いつしかそれに興味がなくなり、処分した経験をお持ちなのではないでしょうか。要らないから捨てるのであって、何も問題はないはず。なのに、どこか心が痛む気がする。
そういう後ろめたい実体験が大なり小なりあるからこそ、おもちゃが子どもに遊んでもらい続けられるという、現実にはそう起きえない奇跡に感動するのはないでしょうか。まるで自分たちの罪を代わりに赦されたような。
これがSF作品とか非現実の世界で奇跡的な結末を迎えるのだと、実体験と紐づかないので、同じようには感動できないんだと思います。
どんな危機に直面しても、変わることのなかったおもちゃ達の存在意義。その奇跡っぷりに実体験を持って共感できるからこそ、『トイ・ストーリー3』は圧倒的に感動的なラストになったのでしょう。
変わることを受け入れる美しさ
役割を全うし続けようとしたウッディ
前述の通り、おもちゃ達は、大切な子どもに遊んでもらうという役割を持ち、そのことで存在意義と幸せを感じていました。
ですが、『トイ・ストーリー4』ではその筆頭であるウッディが、作品を通して自らの存在意義を自分でアップデートすることを迫られます。
というのも、ボニーはウッディへの興味が徐々に薄れていきます。そして、フォーキーというゴミから生まれたおもちゃに夢中になります。
以前のように遊んでもらえなくなっても、ウッディは大切なボニーのために存在しようとします。フォーキーはおもちゃとしての自我を持たないので、フラフラとボニーの側から離れてしまいそうになりますが、それをなんとか阻止しようと腐心します。
大切なものとの別れと新たな旅立ち
ですが、ドタバタ物語の最後に、ウッディはボニーのために存在し続けることを手放し、ボー・ピープと移動遊園地に残る選択をします。
それまでの自分の役割や信念とは異なる選択をしたことが、作品の賛否を大きく分けている訳ですが、私は好意的に受け止めています。
というのも、別に何が悪いでもない、誰のせいでもない。でも、それまで大切にしてきた何かを手放さなくてはいけない。そういった場面もまた、誰しも経験があるのではないでしょうか。
これが自分の天職だと思えた仕事を辞めるとき、一生付き合っていくと思えた親友と徐々に疎遠になるとき、子どもがいつしか親離れしていくとき。
そのときそのときに自分の中にあった大切な価値観、担っていた役割、誰かや何かとの中に見出していた自分の存在意義。
望む望まないに関わらず、それらをアップデートしなければならないときがある。ウッディも、そういった場面に向き合わなければいけなかったんだと思います。
変化を受け入れる勇気をくれる『トイ・ストーリー4』
『トイ・ストーリー4』が好みではない方々の意見には、「そのテーマを本シリーズで取り扱う必要があったのか?人ではなくおもちゃであるウッディにその試練を与える必要があったのか?」という疑問があるようです。
私としては、これまでおもちゃとして明確で一貫した役割があったウッディだからこそ、強い信念を持っていたウッディだからこそ、大きな意味があると思います。
不変と思っていたそれらをウッディがアップデートせざるを得ない境遇には胸が苦しくなりましたし、勇気を持って向き合う様子に感動しました。
変化に向き合い、それまでの自分を更新していく全ての人に、勇気を与えてくれる一作だと私は思います。
2026年には『トイ・ストーリー5』が放映されるとのこと。シリーズ5作目にして、ピクサーがどういうテーマを持たせるのか楽しみにしたいところです!
ではまた!
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