「2024年5月の名前のない珈琲 Tanzania:いつものをちょうだい」
「いつもの」には違和感を感じない。
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5月の名前のない珈琲:Tanzania「いつものをちょうだい」
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好きな醤油がある。
長いこと使い続けている好きな醤油は、わたしの住む町では一軒のスーパーにしかない、たぶん…。
一軒のスーパーにあることは確認済みで、三軒のスーパーにないことも確認済みだ。
あと一軒あるスーパーにあるかどうかは確認していない。
確認していなスーパーは我が家から一番遠いところにあるスーパーだから、確認するのが面倒なだけだ。
好きな醤油を売っているスーパーは二番目に遠くて、線路を超える必要がある。
ある日、買わねばならない醤油のことをすっかり忘れて、すでに、肉やら魚やら野菜やらでいっぱいいっぱいになっていたわたしは、線路を超えていくという行動をどうしても起こすことができなかった。
だから、いつもの醤油ではない醤油を買った。
いつもの醤油ではない醤油。
それはいつもと違う味がした。
当たり前のことなのだけど、あれ?と思った。
製造元が違えば、材料も製造方法も違うだろう。
そもそも、醤油に対する考え方も違うかもしれない。
それは、珈琲豆の焙煎も同じことだ。
焙煎士によって、焙煎に対する考え方は違う。
ある人は高温で短時間焙煎。
ある人は低温で長時間焙煎。
ある人は浅煎りでフルーティーさ重視。
ある人は深煎りでビターなコク重視。
なにを重視するかで焙煎の方法も変わってくると思う。
自分がどの焙煎の珈琲が好きなのか、好ましいのか。
いつもの醤油のどこが好きなのかと聞かれれば、わたしは具体的になにと言うことはできない。
ちょっとしたキレとか、本当に些細なことなんだと思う。
ただ、いつもの醤油とそうでない醤油を比べたとき、そうでない醤油にはちょっとした違和感があって、いつもの醤油にはそれがなかった。
違和感。
「いつもの」には感じない違和感。
「いつもの」には慣れ親しんだ感覚しかないのかもしれない。
5月の名前のない珈琲を飲みながら、そんなことを思っていた。
実は、Tanzaniaの珈琲を焙煎したのは久しぶりだった。
なぜか、焙煎していなかったけれど、急に、深煎りの力強いコクと苦みのあるTanzaniaが飲みたくなった。
きっと、珈琲だけでなく暮らしのいろんなことに対して、違和感よりも慣れ親しんだものを欲していたのだろうなと思う。
5月の名前のない珈琲の名前、それは「いつものをちょうだい」だ。