「2024年1月の珈琲 Rwanda:くちびるに紅」
華やかさは大胆な柄の振袖、甘酸っぱさは恥じらい。
Rwandaの珈琲に感じたのは、大正時代を生きた祖母の振袖に腕を通した正月の朝。
Rwanda:くちびるに紅
赤い絞りで髪を結い
大胆に描かれた模様の振袖に 腕をとおした
くちびるにひかれた慣れない紅に
恥じらいを感じた
正月の朝
華やかな甘酸っぱさに頬を染める
桜色に大胆に描かれた黒と赤の模様。
「おばあちゃんが小さい頃に着ていた着物よ。」
そう言いながら、ある正月の朝、母は、わたしに見慣れぬ振袖を見せた。
大正生まれの祖母が着ていた振袖はとても大胆で華やかで、今までわたしが着たことのあるどの着物よりも派手なのに、どこか、懐かしく、落ち着いていて、そして、なによりもお洒落だった。
「まだちょっと大きいから、丈を詰めて着ようか。」
そんなことを言われたのは、この振袖だったのだろうか。
最後にこの振袖を着たときには、「つんつるてんで、もう着れないね。」と言われた覚えがある。
日常を着物で過ごす暮らしではなかったから、祖母の振袖を着た回数は数える程度だったと思う。
ただ、そのお洒落な振袖は、見るたびに、わたしの頬を紅潮させた。
そして、振袖を着たときにひかれた慣れない紅に、恥じらいを感じて、頬を赤く染めた。
黒髪を結い、赤い絞り紐で蝶々結びをあしらわれる。
自分で長襦袢を着て、鏡の前におさまると、後ろから、祖母の振袖を持った母が、わたしに腕を袖にとおすよう言った。
襟元から漂う樟脳の香りに少しくらくらしながら、母に言われるままに、腕を上下し、背を張り、帯を巻かれる。
そして、最後に、くちびるに母の紅をひかれて、支度は整った。
鏡のなかにうつるわたしは、まるで、箪笥の上に飾られたガラスケースの中に立つ市松人形のようで、そういえば、あの市松人形も紅をひいているのかなどと考えたりした。
そして、慣れない紅に戸惑いと恥じらいという甘酸っぱさを感じながらも、祖母の華やかな振袖とともに、特別な一日が始まることを感じたのだった。
Rwandaの珈琲から感じた華やかな甘酸っぱさはそんなことを思い出させる香りと味わいをしていた。