あらゆる食事はめんどくさい

またっすか

Twitter(現X)で自炊がどうのみたいな話題を見かける。昔から定期的に話題になるものでまたかぐらいの感覚ではあるが、今回は自炊で安上がりは嘘→自炊だとこんな事ができるぞ大喜利みたいな流れになっていた。個人的に自炊というものについての持論がなくはないのだが、自分の考えに近い話を一切見かけなかったので、少し発信しておくがぐらいのお気持ちになってきたので書いてみる。

持論

まず、前提として、ここでは一人ぐらしでの自炊や外食、または中食(弁当などを買ってくる)の話である。それはそれとして、複数人の家族で家で食事を作る場合にわざわざ「自炊」と言わない気がするのだが、一般的な日本語の使い方としてはどうなのだろうか。
私の考えの結論としては、「あらゆる食事(に関わる準備や片付け)はめんどくさい」「面倒くささは人それぞれ」である。

詳しい説明

自炊の場合、調理器具や食器、ガスコンロ等のキッチン、冷蔵庫を所持していることを前提とし、そのうえで、食材の買い出し(スーパー等への往復、スーパーでのチョイス)、食材の管理、調理と言ったことが「食事の準備」となり、当然後片付けとして食器を洗ったり、ゴミ等の処理をする必要がある。
わざわざこのように列挙するまでもなく自炊がめんどくさいと言うのは直感的に分かる人も多いと思うが、私の観点では外食でも十分めんどくさい。
外食の場合、食事をする店の選択、店への移動、メニューのチョイス、店員とのコミュニケーション、提供までの時間つぶしを行うことになる。片付けは不要かもしれないが、代金支払のための店員とのコミュニケーション、家への移動といったことは必要になる。また、外食の場合、店や店員、他の客によって不快な目に合うリスクが自炊より高いと考えられ、これを強く嫌がる人もいるだろう。
ただ、これらの各行為はめんどくさいと感じる度合いが個人によって大きく異なるし、他の生活上の活動、たとえば、通勤通学経路にある店なら外食における移動の面倒くささが完全に隠蔽されるが、在宅勤務の人は相当めんどくさいと感じても不思議ではない。
また、食べる喜びが極めて強い場合は面倒くささを大きく超越して他の面倒くささを無視できたりする場合もある。逆に、食べる行為自体がめんどくさいと言う場合もあるが、もちろん、これらは自炊でも外食でも同じである。

再度結論

外食と自炊でどちらが良いといった話を一般的に語ることがナンセンスであり、ネットで繰り広げられるのは大ポジショントーク大会に過ぎない。真面目に考えずに大喜利大会として見ておくのが良いだろう。

ちょっと追記

めんどくさいことを全部やってくれるカーチャンには感謝しよう

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