2021.05.11『春を抱いていたafterward』読了
感情が自分の中に収まり切らず
はみ出すことって年に何回あることでしょうか。
今回も来ましたよ。
『春を抱いていたafterward』
思えば
『春を抱いていた』終幕。
の方が
心穏やかであったか。
何か
動き出したい自分も
というところでソワソワする感じ。
何度か
このnoteでも自己紹介としても書いた
私のBL遍歴の中で
欠かせない存在、新田祐克先生。
2000年代かな?
もう覚えてもないくらいに出会い
読み漁りました。
人生の岐路で手放してしまうこともあったけど
(物質的なコレクションを)
心には深く根強く住みついて
私を支えました。
本当にいろんなことがあったからね。
現実とリンクさせて描くのが上手い先生だから
本当にそこに岩城さんと香藤が居るのではないかと
錯覚させる様な迫力と熱量でリアル。
"積み上げてきたものが一瞬で崩れ去る"
東日本大震災からも目は背けず描き切った様。
それは自身のトレース問題と重なって
無理矢理ブツっと終わらせた感
(この巻は悲しい程に筆圧に元気がなかった。
自身のやってきたことに、自身が萎えてしまった印象がぬぐいされないほどの、しんどい絵。)が
否めない時代を経て
少しずつ少しずつ
力強さを取り戻して再生していく筆圧。
そしてタイトルは
『春を抱いていたALIVE』
それでも人生は続いていく。
というメッセージを
岩城さんと香藤を通して伝えてくれていると
信じている。
だからか
随分と呆気なく香藤は逝ってしまった。
それでも人生は続いていく。
けれど
人生てそうですよね。
突然、どうして、てことが
多過ぎて
ブツっと置いてけぼりくらうみたいなことは
実は人生、日常茶飯事で。
だからこその
日々を大切にしなきゃならないしんどさに
幸せが在ったりして。
話を読むたび思います。
突き付けてくる話は
しんどくて
共感出来る部分もあれば
納得行かない部分もあって
けれど
凄い熱量だから
こちらも凄い熱量で受け取らなくてはならなくて
葛藤し選択する。
それこそが情操教育なわけで。
たかが物語だと取るか
されど物語だと取るか
で
現実のちょっとした部分に
いかに想像出来るかってことに結びついて。
設定に賛否あれど
それでもその作品に向き合う時間と
向き合う自分には寄り添いたい。
肯定してやりたい。
と、思える
そんな作品に出会うことが
『すばらしい物語が、必要とされる人のところへ届く』
だと
信じてやまないわけです。
春抱きの世界は
5代先までの未来へ続くわけですが
『岩城が。香藤が。誰かが、少しづつ進めた
その先の未来へ。』
(この"づつ"ひとつとってもね。歴史的仮名遣いが、深いよな〜。)
とある。
その誰かは、多い方がいい。
当事者であれ、当事者でなかれ、
少しずつ(私は現代仮名遣いを用います。)
想像する力でバタフライ効果を生んで
進んで行く。
それは決して物語の中だけでなく
現実に於いても。
そしてその
"誰か"では、常に在りたいと願って
生きているんだなと
そんなことを再確認させてくれる。
長い長い人生に
良い時も悪い時も
長く長く私に寄り添ってくれる
『春を抱いていた』シリーズ。
いつもその熱量に
心は掻き乱されて
寂しいやら悲しいやら嬉しいやら楽しいやら。
まだまだ
彼らの息子(翔くん)の話も再開するし
何より
ページを開けば
彼らはいつもそこに居る。
そんなことを思いながら
このはみ出した感情を
ページの中にそっと仕舞い込んで
今回は終了とします。
感情が千々に乱れ意味不明。
これこそが醍醐味。
20年以上
正に紆余曲折
身体を壊しながらも
感情を乱しながらも
描き続けた
新田祐克先生
有難う。
それこそ
まだまだ翔くんの話も続くから
岩城さんのように
しぶとく生きてね!
先生!☺️
本当に有難う。
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