女の髪は長ければ長い方がいいと思う。ボブの女なんて大概頭と股の緩いバカばっかだし、ショートなんて間違いなく論外だな。 そんなことを彼女が髪を乾かす姿を見るたびに思う。「ロングなんて手入れが大変なだけだよ」と笑う彼女の髪は、ありふれたベリーの香りと少しタバコ臭い匂いがした。ドラッグストアに置いてある1番いいシャンプーを使う美意識を持ち合わせた彼女は、どんな日でも髪の毛をしっかりと乾かす。そんなこと俺には生理用品がどうだとか、あのコスメが可愛いだとか、そんなレベルでどうでもいい
御嬢さん、君のその御御足を、どうか僕だけに開いておくれ。その具が詰まり、辱めを受ける秘密の場所を、僕だけに差し出して。御嬢さん、僕だけの御嬢さん。 君は湿っぽく、肉壁に精神だけが包まれる、生々しくて、目を背けたくなる、器だよ。その体に、僕は酒を流し込む。 君はまだ十八で、僕は君の四つ上。 君が中学の時、僕は高校生。 君が高校生になった時、僕は大学に入ったんだ。 君に初潮が訪れた時、僕は童貞を捨てたんだ。 君が処女を捨てた時、僕はもう大人になっていた。 君はなぜ、そのアカ
飛沫防止のアクリル板は、パンを食べる私を映した。アクリル板越しに、もう一人の私もパンを食べている。 私が彼女の目を見ると、彼女も私の目を見る。 私が彼女に微笑んでやると、彼女も私に微笑み返す。 私がパンをちぎると、彼女もパンをちぎり。 私がパンを食べると、彼女もパンを食べる。 彼女は、私のように見える。彼女は、そこに居るように見える。でもアクリル板越しでないと、私は彼女と会えないらしい。 アクリル板越しでしか会えないあなた。かわいくて、賢そうで、素敵な服を着ている。 私
シラフでいるのに、急に視覚情報全てがサイケデリックに感じて、頭の中に蓄積した全ての知識が頭蓋骨から漏れそうになる感覚がある。 幼い頃、離人という言葉も知らない時、すうっと視界が映画のスクリーン越しの世界のように感じて、自分はその映画を観てる観客のように感じる瞬間が日常的に起きていた。それを幼いながらとても不思議に、不安に思っていた。 それが少し形を変えて今も起こっている気がする。 全知全能になって、この世の全てを網羅したいなどとふざけたことを思っているが、この世は今も急速に広
精神科病棟に入院して2週間が経とうとしている。家に居たら自殺してしまうのでここに居るから、ここに居たくないとは思わない。けれど、外に出て文化的な生活を送りたいな、と思って悲しくなる。 iPhoneの狭い画面で見るNetflixじゃなくて、劇場のスクリーンで映画を見たい。積読をデイルームで読むんじゃなくて、電車の中で途中の本屋で見つけた文庫本を読みたい。自販機で買う缶コーヒーじゃなくて、街のカフェでカフェラテを飲みたい。外の空気を吸いたい。大空の中の月を見たい。好きな音楽をかけ
部屋の隅から虚しさが溢れてきた。 本当は胸の真ん中に空いた虚構を孕む穴からやってきた。 娯楽を求めて電子が動かす板の中を探すけれど、どれも酷く他人事で夢中になれるものはなかった。 道路で死んだ猫を思い出す。 内臓が飛び出した猫は蟻に運ばれて輪郭だけがそこに残っていた。 もうそれは猫の形をした跡で、猫じゃなかった。 魂がないものは何かの形だけが残って、元々の形に戻ることはできない。 人間の身体という殻の中に閉じ込められて、どこへも逃げることができなかった魂がいつの間にか死んで、
病院に行って優しくされたい。 ここじゃ誰にも優しくしてもらえない。 誰にも見捨てられず、無償の愛をもって優しくされてみたい。 でも、それはきっと一生叶うものではないから、お金を払って仕事として優しくしてもらいたい。 ただ何も聞かずそばに居て、布団をかけて貰いたい。 嫌な顔なんてされず、当たり前のことのように私に優しさと愛情をもって接してもらいたい。 きっと病院の人は他の人間のことを優先したりしないし、私の上位互換の存在を知らしめたりなんてしない。 私は安心して母
夢で会いたい。夢の中なら何でもできる。君の体温をこの手で感じられるし、君の息遣いとか瞬きが産む風とか、もう全部私のために存在して、私はそれを思う存分心で感じて、満ちたりた気分のまま君の腕の中で眠りたい。臆病で傷付くことが何より怖い私は、現実では夢の中で出来ることが何一つ出来ない。でも、本当は素面で君を感じてみたいな、無理だと知っているけれど。
誰にでもある瞬間ってあると思うんだ。例えば、夕陽に染まる雲に感動したりだとか、何となく寂しい夜だとか、テスト前の憂鬱な朝だとか、誰にでもあるカメラのシャッターを切りたくなるような瞬間。それがいつまでもずっと続けばいいのにって思う。私は常に感傷に浸り続けている。LINEのパスワードは昔好きだった人の誕生日だし、未だにフォルダに入ったあの日の写真を消すこともできない。 いつか、きっといつか、私にも新しいパスワードができる日が来るって、あの写真を消しても大丈夫な日が来るって信じて
「俺お前の書く文章、好きだよ。」去年の冬、産まれて初めて自分の書く文章を褒められた。 頭の中に浮かぶ考えや思いを可視化するのは小恥ずかしいけれど、口頭で誰かに喋るより、ずっと多くの時間を費やして文章を創るから、考えと思いは、より洗練されたものになると思う。実際、ここまでの短い文章を書くのにもう20分も費やしている。文章を読むのは数秒かもしれないけれど、それを書くには何倍もの時間がかかってしまう。創り出すのは困難だけど消費するのは容易い。 最早創り出した文章は自分自身の分身
意味のない言葉を羅列して、ひたすらに自意識から滲み出す思いを文章にしているけれど、これは誰に向けているわけでもないく、生きる為に、生きていく為にただ文章を綴り続けている。 綴らなければ私と世界との、他者との輪郭が曖昧になって溶け出していきそうで怖い。綴りつづけている。駄文を。 私を創造し、削り、安く押し売って、自分の存在を証明している。他者に観測され得ない物は、存在して居ないのと同じらしい。それは、何なのか、愛なのか、ただそこに“ある“だけの物質なのか、はたまた“ない“の