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瞑想修行の帰り、タイのどこかわからない場所で不思議な体験をした話。
こんにちは、あゆみ(@ayued_)です。
昨日結構な時間をかけて書いた瞑想修行の記録ノート
を投稿しましたが、そう言えば続きのお話があったので、今日はその続きのお話をしようと思います。
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タイとミャンマーの国境付近の山奥にある美しい自然に囲まれたお寺、ワット・タンムアでの瞑想修行を終え、とてつもない幸福感と、絶大なる感謝、慈愛の心を得た私は、チェンマイへと帰ります。(ラオスへ向かうために、一度チェンマイへ戻る必要があった)
バスで戻る予定でしたが、当日の朝、タイ人のボランティアスタッフさんの計らいで、なんとありがたいことに、同じ日にお寺を出るタイ人のお姉さん2人組の車に同乗させてもらう事に。
彼女らはチェンマイを通過し、更にもう少し南の町へ帰るようなので、私だけチェンマイで降ろしてもらいます。
私の結構重い荷物も乗せてもらい(働いてたフィリピンからの2年ぶりの本帰国のついでの旅なので、荷物が多かった)、みんなが朝の瞑想を始めている朝の10時頃、お寺を出発しました。
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車に乗せてもらい山道を走っている途中、今回はケガをした思い出しかないパーイのお洒落なカフェを何軒か通り過ぎ、きっとまたここにも戻ってこよう、と思いました。
途中、通りかかった森の中の素敵なレストランで昼食をとりました。
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お店のWi-Fiで久々にインターネットを繋ぎつつ、乗せてくれている彼女たちとお喋り。(2人ともほとんど英語を話さないので、Google翻訳に頼りながらお話し)
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逆算して残るお金をお寺へ寄付してきて持ち金も少ないため、ケチケチして一番安いメニューを頼んだ私に、なんと彼女らはご馳走までしてくれたのでした。
むしろ私の方が車に突然乗せてもらっているので、と遠慮して払おうとしても受け取ってもらえず、ありがたく頂戴しました。
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ランチを終えてまたしばらく走っていると、2人が寄る場所があると言い、細道へ。
ものすごく地盤の窪んだ場所に、台風が来たら一瞬でなくなりそうな小さな家が密集した集落があり、知り合いが住んでいるのかな?と思っていると、通り抜けてそのまた奥の山の中へ上っていきます。
なんだかものすごい場所に入って行くなぁと思いながら、後部座席の窓の外の周りの森や道の途中にある何なのかよく分からない像をキョロキョロ眺めていました。
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その山の山頂付近にひっそりとあったのは、こぢんまりとしたお寺。
その場所のあまりの辺鄙さに、なんだか私はジブリの世界に入り込んだような気分。
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そこには住職さんと、スタッフの人が2人ほど暮らしているようでした。
2人も住職さんも英語を話さないので全ての会話がタイ語で行われていたので、私はただ最後まで隣でにこにこと聞いていました。
私を乗せてくれていた2人はおそらく定期的に何度かここへ訪れているようで、住職さんと顔馴染みらしく、瞑想修行がどんなだったかを和やかにお話ししていました。(タイ語で何を話しているのかさっぱり分からないけれど、瞑想寺の名前の”タンムア”というワードが何度か聞こえてきたから)
2人はどうしてこんな辺鄙な場所にあるお寺を知っているんだろう?と不思議に思いました。
お寺の周りには何もないようで、とても静かな、何だか不思議な雰囲気のある場所。
私はそういうのはよく分からないのだけれど、スピリチュアルなパワーがものすごい場所だったのだと思います。きっと間違いなく。
最後に、住職さんが2人に小さな金の獅子の置物をお渡しして、そしてそれを私にもくださいました。
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その後、まっすぐチェンマイまで乗せてくれた2人は、結局連絡先も交換できないままガソリン代も受け取ってもらえないまま慌ただしく別れてしまったし、なんだかトトロか千と千尋あたりのジブリの世界に入り込んだような不思議な出来事のように私の中には残りました。(辺鄙な場所だったし言葉通じなかったし)
お寺でもらった金の獅子を見ると、今でもあの出来事は現実だったのか、とか思ったりします。
その後チェンマイまで帰ってきた私は、ラオス・ルアンパバーンへ24時間のバスへ乗り込むのでした。(前に書いたnoteへ続きます)
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それから、それとはまた別の後から思い出したことなんですが、これは瞑想寺へ行く時のこと。
最初にパーイという町から瞑想寺へ向かった時は、ミニバンで向かい、目的地を40キロ通り過ぎて終点まで行ってしまいました。(前のnote)
そして翌日の朝メーホーソンからお寺へ向かう時はミニバンではなく、一番早い時間(7時)に出ていて一番安い(80バーツ)、フィリピンのジプニーのような風通しのいい黄色いバスに乗って向かいました。
その黄色いバスは小道を通って奥のお寺の目の前まで行ってくたのだけれど、もしも問題なく予定通り、パーイからのミニバンでお寺のバス停で降りていたら、そこから自力で2キロ歩かなくてはならなかったのです。(歩かなくてはいけない事は元々知っていて、パーイから行く方法はミニバンしかないので気合いで歩くつもりで行ったのですが)
けれど実際にその小道をバスで走りながら、このケガでこれは歩けなかったな。。。と思いました。
予想外の展開でなかなか大変だったけれど、やはり起きた事は起こるべくして起こっているのかな、と感じた出来事でした。
ケガで諦めてパーイにとどまり瞑想修行へ行っていなかったら松葉杖を譲ってもらうこともなかったし、そもそももしケガをしていなかったら、お寺でも旅中も、こんなにたくさんの人が心配して声をかけてくれたり助けてくれたりして人の温かさをたくさん感じられた、こんな素敵な旅は出来なかっただろう。
この旅で親切にしてもらった人への恩は、会いに行ける人はその内手土産でも持って会いに行くけれど、もう会えなそうな人の分はまたこれから出会う人に常に返していこう、と、私自身が優しくなれた気がします。
起きた事は起こるべくして起こっているし、もしその時は最悪だと思っても、長い目で見るときっとこうなってよかったと思えるのだろう、と、全ての出来事に感謝できるようになった旅でした。ちょっと仏教的な考え方なのかも。
この旅でお世話になった皆さん、本当にありがとう。
さてさて、最近あった出来事を新しい順にnoteに書いていますが、次からはチェンマイでの1ヶ月間のマッサージ修行の時のことについて書いていこうと思います。
ではでは。
あゆみ