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猫の手首


「#社会人1年目のわたしへ」

普通の人は、就職が決まったとき、どんなふうにするのだろう。しずかにガッツポーズをしたり、友だちに連絡して飲み明かしたり、家族でパーティーをひらいたりするんだろうか。華々しく、楽しい日として記憶されるものなのだろうか。

わたしの就職決定の日は、とてもしずかだった。その日の日記を、わたしは未だに、しっかり直視することができない。

「こんなにがんばったのに、いい子じゃないと、だめなんだろうか」

***

いい子だった。口のよく回る、リーダーシップのある子。それがある日から、高校に行かなくなった。みんなが受験勉強に勤しむ中、わたしは毎日布団の中か歩道橋の上にいた。歩道橋は見晴らしがよく、いつも誰もいなかったから。

いい子でいられなくなったとき、わたしのすべては「すとん」と抜け落ちて、165センチの大きめなからだだけが残ってしまったようだった。なんだかすぐに伸びる前髪も、すぐ靴擦れする幅広の足も、なんの役にも立たない。恩師はときどき電話をくれ、わたしはときどき呆然としたまま国語科準備室で話をした。わたしのからだは、ずっと役立たずだった。

出席日数の関係で高校を卒業できないとわかったとき、わたしはちょうどカウンセリングを受けている最中だった。父のメモには「冷静な方のあやが想像していた結果になりました」とあった。そのあと、わたしは突然眠ってしまった。からだが、完全に閉じてしまったのだと思う。がくがく頭を揺らしながら、帰った。

調子がいい日と悪い日を繰り返しながら、高卒認定試験を受けた。手首に沢山に傷をつくりつつ、わたしはなんとか滑り止めの大学に合格し、同時にアルバイトを始めた。駅のすぐそばのちいさな個別指導塾を選んだのは、「準スーツ可」という一文に惹かれたに過ぎない。

「準スーツ」で始めたアルバイトが、いつのまにか生活の主軸になった。「先生」と呼ばれるうちに、わたしのからだは目覚めはじめた。予想問題を作り、教室の教材を研究し、入試問題を解きながら、わたしのからだは「先生」として立ち直り始めた。そうして、大学にはいつしか出席しなくなり、社員から声をかけられた。一枚のエントリーシートも履歴書もなく、わたしは就職先を決めた。一年遅れて大学に入ったはずが、同期と同じタイミングで、社会人になった。

わたしは、喜び勇んで両親に報告した。両親はそうかそうかと頷きながら、それでも不安そうなそぶりを隠せないでいた。当時のわたしは、それが悲しくて仕方がなかった。それで、日記には、こうある。

「わたしが高校を好きで、大学を好きで、無事に学校の先生になることができていたら、今日という日は喜びの1日に変わったのだろうか」

「頑張って、なんとか自分の居場所を自分で見つけたつもりになっていたけれど、やっぱりだめなんだろうか。」

それでも、わたしは社員になった。入社式もなかったし、出勤する場所も変わらない。それでも、わたしは社会人になった。

***

その頃、わたしはよく泣いた。たったひとりの同期が同い年、同じような経歴、同じ苗字の、しかもものすごく頭の回る子だったので、比較して勝手に悔し泣きした。仕事が終わらず、深夜まで教室に残り、わんわん泣き喚きながらPCを叩いた。しょっちゅう、靴も投げた。(今考えるとおかしなことだが、当時のわたしは、靴を投げるとすっきりしたのだ。そのあとけんけんで取りに行く滑稽さも含めて)

それでも、絶対に休まなかった。休みたいと思ったことも、あったかもしれない。でも、もう止まらないと決めたからには、止まらなかった。さめのように、わたしは日々を過ごした。

最初の大型連休、家族で久しぶりに車で旅行した。小さい頃は、父母の実家の青森、秋田まで、よく車で帰省した。父だけが運転手だった頃を経て、長兄も、次兄も、運転手を担えるようになった。父母は後部座席で眠っている。深夜の東北道は平坦で、行っても行っても窓の外は塗りつぶしたような黒だ。

なにかの拍子に、仕事の話になった。愚痴をこぼしたような気もするし、自慢げに自分の実績を話したような気もする。そのときはじめて、普段離れて暮らす長兄と次兄が、父母に「あやを見守って」「あやを応援して」と怒ったらしいことを知った。

シートベルトが突然、ぐっと胸に食い込んだような気がしたのは、そのときハンドルを握っていた長兄があっさりと、「だって、リスカもずいぶんやってないじゃん」といったことも、あったかもしれない。

「知ってたの」と聞き返したわたしの声は、多分震えていた。

「そりゃそうだ」と兄たちは笑い、「俺たち三人の中でいちばん賢いお前だから」と続けた。

まじで、なんにも勉強しないのに、お前は点数とってくるよね、という長兄は、高校の教員で、いや、それは俺譲りだ、と笑う次兄は小学校の教員だ。後ろできっと耳をそばだてていた母も、小学校の教員。

わたしは下手くそなあくびのふりで、真っ黒な車窓を見ていた。

***

止まったら死ぬ、と、心から思っていた「社会人1年目のわたし」が、止まっても死なないと知った夜を、兄たちも覚えているだろうか。

それからもわたしはよく泣いたし、よく怒った。止まることはあってもやめなかったあの1年の彼女に、わたしは心から感謝する。

感謝されたって、この仕事は終わらないし(今もっと上手にできるようになってるよ)、先輩講師は言うこと聞かないし(後輩だったのに、いきなり上長になったわけだから仕方なかったよ、今思うと)、直属の上司は使えないし(ちなみに後年、そいつはものすごく汚いやり方で独立して、あなたを烈火のごとく怒らせるからね)、と、あなたは愚痴るだろうけれど、わたしは彼女に感謝する。

不登校の子や、保護者が、当時の教室を離れた今でも連絡をくれる。大学に合格しました、成人しました、と。それを眺めるよろこびは、彼女がくれたものだ。ノートが破けんばかりの筆圧で感情を吐露したあの夜や、ひとりで靴を投げたあの夜なしには、今のわたしはないのだから。

***

そういえば、短歌を詠むようになってしばらく経つけれど、あの頃を思い浮かべた歌がないことに気づいて、驚いた。と同時に、申し訳なく思った。思い返しながら、詠んでみる。

***

まっすぐに職場に向かうまっすぐな猫の手首をもった彼女は

片足でリノリウムを踏む片足でさっき言われた「若いね」を踏む

泳ぎだすからだを深夜に投げ出してヘッドライトのオレンジは好き







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あやぽ
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