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成人式

前書き

このnoteは成人式の次の日の深夜、前日の余韻をかみしめながら書いてます。後から読み返せば恥ずかしくなるし、まとまりのある文章を書けそうにもないけれど、たぶん今しか書けないものがあるからここに残します。



成人式の回顧録

ただでさえ誰が誰かわからないのにそれに拍車をかけているマスク、あまりにも短い式典、コロナウイルスで一変した成人式はそれでも十分に楽しいと言えるもので、軽い言葉になるけれど一生忘れられないものになった。

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「変わったね!」「かっこよーなったなー」と声をかけてくれる友達、でもなぜかもっと嬉しかった「変わってないなー」の一言。

嫌い合ってた友達同士の談笑、中学校の思い出の中で暗い重しとなり学校に来ないで欲しいとまで思っていた彼の大きな変化、優しくなった声と変わらない笑顔

話しかけるのに勇気なんて必要じゃなかったあの頃との違いを感じながら、自分との思い出なんて覚えてないかもしれないと思いながら、どうせ今日しか会えないと割り切りながら、「一緒に写真撮ろう~」と声をかけたあの瞬間

無性に嬉しくなる思い出の共有と頭の中を駆け巡るその時の映像、横には「あったー!」と笑いながらお酒を飲む小学校からの友達



どれもこれもなんかエモいなー、大人になったなーと噛みしめさせてくれた一瞬の切り取り。

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思い出と愛しさと

上で書いたように、成人式は思っていたよりも素敵だった。
ここからは、なんでこんなノスタルジックでセンチメンタルな気持ちになるのだろうということを考えていこうかなと。

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自分の小中学校時代の全てが詰まっている場所だから?思い出をたくさん閉じ込めてくれている場所だから?たくさんの思い出を共有している友達がいるから?

思い出といったって意外と覚えていないもので、覚えていたとしてもどれも断片でしかなく、文章にしてしまえばなんだか薄いもののようなのに。

あの時には決して戻れなくて、あの時の気温や湿度、空気感は決して思い出せなくて、あの時の距離感はわかんないのに。





でもだからこそあの日々が愛おしいんだと思う。





だから人は、確かにそれがあったことを確かめたくて「あんなことあったなー」と共感し合い、その瞬間瞬間を残したくてシャッターを切るのだと思う。


そしてその写真がいつの日か、記憶を閉じ込めている箱をそっと開く鍵となるように、地元の友が、学校が、海が、公園が、全てが、思い出を閉まっている本を紐解くためのしおりとなっているのだと思う。


だから地元は愛おしい。だから地元を再認識し、人によっては地元との別れを意識する成人式はノスタルジックでセンチメンタルなものだったんだと思う。

                 2020年1月4日 


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