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迷ったときは「どまんなか」を思い出す。【ビジョン・ペルソナの確認】

この世の人は、本当に背負っているものが多すぎる。
自分らしさが大事とは思いつつ、環境や状況による制約とうまくすり合わせを行わなければいけないし、自分の機嫌は自分でとらなきゃいけない。働かないとメシが食えないので働くけれど、頑張りすぎたりストレスがたまると「自分で健康面のケアをしないとダメです」といわんばかりのことを何かしらのお医者に言われる。大変すぎでは???

そんな人たちが、背負っている要素たちに振り回されずに健やかに生きる方法をよく考えます。その中の一つを提案したいと思い、この記事を書きます。

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仕事でお客さんとお話したり友人とおしゃべりしていると、謙虚な人が多いなと思う。例えば、企業がお客さんを「こういう人がいい!」なんて絞った希望を言うのをあまり聞かない。「この商品を選んでくれれば、どんな方でも嬉しいです」と言うことすらあるし、「高校生に喜んで欲しい!」と具体的な属性を言うこともあるけれど、「理想的なお客さん一人選ぶなら、どんな人ですか?」と聞くと、はっきり言える人は少ない。

これは、私生活で友人と話していても感じる。
「どんな生活したい?」などと聞くと、「まあ、そこそこお金に困らなくて、子供がいて、〜〜〜〜があればいいかな」といった具合に、理想を聞いても『この辺りで妥協できる』というラインを最初から提示する。

別に、この「希望の持ち方」が悪いわけではない。私自身もそういうことがあるし、別に向上することが全てではない。

でも、そんな人に「それよりもっと良いものが手に入る可能性があると思うよ」と伝えたときに興味を持たない人も、あまりいなかった。だいたいの場合の原因のどれかだと思う。

【自分の理想を描かない人の理由の要素】
①自信がなく、自分はそこそこの人生しかできないと思っている。
②もっと良い未来があるとしても、そこにいくための体力は使いたくない。
③理想を絞ることで、他の可能性がなくなることが怖い。

それぞれに、私の考えで返事(?)をしますと、

①自身のない方
→具体的に理想を描き、具体策を考えれば案外どうにかなるかもしれないと思えるようになったりするので、ポジティブになれる可能性ありますよ。

②体力を使いたくない方
→生き方の指針を見出すことで、余計なイライラする時間や不要な時間の断捨離ができて、むしろおすすめです。

③可能性を狭めたくない方
→大丈夫です。理想を狙ったところで他の要素がなくなることはありません。むしろ、取りこぼしが少なくなるとおもいますよ。

なんだか皆さん、理想を描くことに何か怯えている感じがします。
「理想を言ったら、絶対やらなきゃいけないんじゃないか」などという怯えがあるようにも感じます。

ただ、描くのは自由。
私自信、その方法をとって、とても生きやすいと感じているのも事実です。

…イチから人生観を見直す作業をするのももちろんいいですが、だいぶそれって面倒な作業になるので、おすすめの合言葉があります。

それは、「それの"どまんなか"ってなに?」です。
つまりはペルソナ像・理想像的なことです。
「一番の理想はこれ」と一旦想像してから、その他の条件を考慮して調整するなどです。一旦「この一番の理想をかなえるために」という指針で1時間くらい集中して熟考するのもいいですね。案外、答えって出てきます。

「どまんなか」を考える前に安牌な考えに行くと、根本的な部分に触れないままになるので、返っていろいろ面倒なことになることも多いです。

「どまんなか」を考えない言い訳に、過去の自分の原体験や他者への恨みなどを隠している方もいます。「自分はほどよい妥協ができる、器用さがある」という強みと捉えてもOKですが、その呪縛で苦しんでいる人もいます。

人生を、生活にシンプルに捉えて、もう少しだけ楽に生きたい人へおすすめしたいのが、「どまんなか」を一度考える、ということでした。

もし気が向いたら、自分の理想を「どまんなかを、具体的に」考えてみてほしい、というのが私の提案です。結構おすすめです。

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