【読書記録】火星に住むつもりかい?/伊坂幸太郎
昨年の秋に読み終えた本。
読み終えた時に、心の中がザワザワとする感覚があって、それを言語化したものがこの文章です。
ずっとメモ帳にしまってあった感想文なのですが、せっかく書いたので、アップしてみることにしました。
ネタバレも書いてありますので、ご注意ください。
(3000字近い長文なので、お時間がある時にでもどうぞ)
24.09.28. 22:23
火星に住むつもりかい?/伊坂幸太郎 読了。
うーん、さすが伊坂幸太郎。
今まで伊坂作品には何作も触れてきたけれど、この読後の胸が少し痛む感じ。これこそ伊坂作品の醍醐味だよね。
今回は、仕事が忙しくてまとめて読む時間が取れず、病院に行った時の待ち時間とか電車の中とか、隙間時間に少しずつ読み進めていった作品。
私の読書スタイルの傾向としては、読書時間をある程度確保しておいて、その時に一気読みすることが多い。
だけど、今回は時間をかけて少しずつ読んだことが功を奏して、きちんと記憶に留めながら確実に読むことができた感覚がある。
個人的なあるあるなのだけど、一気読みをすると、頭の中で想像して理解するより、自分の目が文字を認識するスピードの方が早いから、細かいところがいつの間にか抜け落ちてしまって、もう一度振り返る、というあまり良くないことが起こってしまう。
だけど、今回は振り返らずともすぐに読み始めると既に出来上がっている自分の脳内のイメージに入ることができた。
だからこそ、読後に胸がチクっと痛むくらい感情移入したのかもしれない。
さて、ここからが本題。
私の中では、伊坂作品といえば「勇気」という言葉を必ず思い浮かべる。
『モダンタイムス』の書き出しでは、
というところから物語がスタートするし、モダンタイムスと繋がっている『魔王』でも勇気の物語だと謳い文句にされていた。
もちろん、それだけではなく、私が読んできた作品のほとんどに「勇気」というものが必ず軸としてある。
今回も[ツナギの男]が、そこに至った動機はなんであれ、「勇気」を出して[平和警察]という名の[国家の闇]に立ち向かっていくというストーリーになっている。
とてつもなく簡単な表現で、かつ一言で端的に表すなら【勧善懲悪の話】になるのだと思うのだけど、読後の私はそうは思わなかった。
この作品は、全体が5部に分けられていて、いろんな角度から話が展開していく。
いわゆる、伊坂作品の醍醐味である、少しずつ謎が明かされていって、終盤で一気に全てを繋げていくという流れだ。
その中で、第2部を読んでいるとき、ふと(これは、今後の日本の姿なのでは?)と思った。
ちなみに、この作品が世の中に発表されたのが約10年前の2015年。
ちょうど、SNSやインターネットが世の中に浸透して、当たり前に人を傷つけるようになった頃だ。
いわゆる[誹謗中傷]という言葉がポツリポツリと出始めた頃だと思う。
私は、今の世の中が誹謗中傷に溢れてしまうようになったのは、きちんと物事の本質に目を向けようとせず、与えられた情報に対して、自分が感じたことが全てだと、正しいのだと思い込んでしまう人が増えたからだと思っている。
それは、この作品でいう「田沼継子」という登場人物と同じだ。
「なんだか、あいつは気に入らない。だから、危険人物として告発していい」と思うのと一緒だ。
「この芸能人、どうしても好きになれないから悪口書いちゃおう、だってそれが私が思ったことなんだもん。正義なんだもん」というのと、なんら変わりない。
そして、思わず目を背けたくなる拷問シーンや、危険人物と認定されて斬首されるシーンは、まるでSNSで誹謗中傷を受けた人の心理状態を具現化しているように私には感じてしまう。
作品では、身体的なダメージとして書かれている拷問は、この現実では心無い言葉を受けることでの精神的ダメージとなり、斬首されるシーンは、いわゆる現実の、この現代の言葉で言う「炎上」のようなものだ。
誰かがいじめられているのを楽しんでみている。
斬首を見にいく一般市民は「あ、今日はこの人が炎上したんだ」っていうただの好奇心でSNSを見る人たちと一緒だ。
だからこそ、私は主人公が処刑されようとする瞬間に、心の中で思うセリフがどうしても忘れられない。
この言葉が、この作品の鍵なのではないか。
いつの間にか世の中は、少しでも違うことをした人間を勝手に裁こうとするようになった。
一緒に右を向かない人間をすぐに断罪しようとする。
「だけど、本当にそうなのか?本当はただの同じ普通の人間なんじゃないのか?」と、そういう伊坂さんからのメッセージのように思えて仕方がない。
そんな中で、1番最後に真壁さんがいう
という言葉に諦めのような軽い絶望感と、少しの安堵感を覚える。
それは、“結局、人間1人がどれだけ行動を起こしても世の中が良くなることはないのだ“という頭のどこかでわかっている事を改めて突き詰められる、あの絶望感と、“それは私だけではないのだ、みんなただの普通の人間なんだ“という安堵感。
ここがきっと、この作品を読んでいく中での、気持ちの落としどころなのだと思う。
だからと言って、伊坂さんは、このまま何もするな、と言いたいわけではきっとないと思う。
そこが、伊坂さんの作品のテーマである「勇気」に繋がっていくのだ。
この作品でも、主人公が勇気を出して行動したけれど、結局、主人公が世の中を変えることができたのか、良くなるようにできたのかは、読み手自身の解釈に委ねられている終わり方だよね。
それをふまえて私は、「良くはならなくても、一石を投じた」のだと思っている。
でも、きっとそれが大事なのではないかな。
ここまで、私が感じたことを脈略なくひたすら書いてきたけれど、一番思うことは、この作品は伊坂さんが、「このままだと、こんな未来が来てしまうんじゃないか、それでもいいのか?君たちはこのままでいいのか?」と警鐘を鳴らすために書かれた作品なのではないか、ということだ。
どうしても私にはそう思えて仕方がない。
そして、同時に問われている気がする。
「この問題に対して、君はどうするの?そこに対する勇気はある?」と。
ただ読んで終わりだけでなく、喉元にナイフを突きつけてくるように、この現実を知らしめてくれる、この作品が私は大好きです。
読むことができてよかった。
何より、伊坂作品の魅力が存分に詰まった上で、楽しませてくれるだけでなく、こうやって考察できるテーマ。たまらない。
これはしばらく頭の中で考えるネタになって、私としては楽しいです。
この文章を書いているときも、とっても楽しかった。
また、しばらく寝かせてもう一度読み返したい作品でした。
素晴らしい作品を、ありがとうございます。
次はどの作品を読もうかな。