獣喰ふ ゆめときみ. 二
……
逃げ込んだ廃工場の中は薄暗く、何もかもの時が止まっていた。
不気味なことに対しては苦手な僕と、対に、彼女はこういうことには恐れなかった。
勢いよく来たはいいものの怯む僕の手を、
再び彼女が引いて、中を進んだ。
しばらく進むと明かりのついている部屋があり、2人で駆け込んだ。
扉を閉め、ひとまず彼女を一番奥の部屋に座らせた。
畳の敷かれたその部屋は、おそらく作業員が寝泊まりや休憩をする場所だったのだろう。
なぜ明かりがついていたのかを、僕らは考えもせず、ただ必死だった。
.
「…相手は獣族だから、もしかしたら匂いで気づかれるかもしれない。そしたら…戦うしかない」
壁際、体育座りの彼女の隣に腰を下ろして、僕は最後の選択肢について話した。
「戦うことになっても、絶対にあの場所から出てきては駄目だ」
僕は部屋を一通り見て来て、テレビの裏の隙間に、少し窪みがあるのを見つけた。
もしもの時は、そこに布をかぶせて彼女には隠れていてもらうと、2人で決めた。
「ほんとに…戦うの?」
心配そうな彼女の声に、僕はそっと手を触れて、優しく微笑んでみる。
「大丈夫。まともに戦うのはあの日以来だけど……今度はちゃんと守るから」
「そうじゃなくて…!」
彼女はますます不安そうな顔でそう言うと、僕の背中に手を回して、隣に座ったまま抱きしめてきた。
「そう、じゃなくて、ほんとに力を使ってもいいのかってこと…」
「もし勝てなかったら、バレたら、君はまた居なくなるんでしょ…?」
僕は彼女の温もりをただ噛みしめた。
居なくなる。
その意味を、何となく分かりながら、分からないふりをして。
「大丈夫、きっと。勝つよ」
そんな漠然とした言葉でしか、彼女を励ませなかった自分を恥じた。
.
「───おォい!!出てこいよォ!」
少しして、工場の中が騒がしくなった。
獣族の男が、手当たり次第に何かを壊して僕らを探しているようだった。
僕は彼女をあの場所に隠し、布をかぶせる前に、最後に微笑んで見せた。
全ての明かりを消し、その部屋を出た。
これが恐らく、最後になると悟っていた。
勝っても負けても、これで最後。
そんな予感は、いつも当たってしまう。
「…なんで僕にこだわる」
僕は少し上の場所から、獣族の男からも見える位置に立ってそう問いかけた。
「はっ!自分から出てくるとはなァ!」
男は僕を見つけると、再び咆哮をした。
「…質問に、答えろ」
僕はその咆哮にも牙にも動じず、ただそう言った。
「あァ?チッ………てめェが強いって聞いたからよォ!!」
イラつきながらも律儀に答えてくれた男は、鼻で笑いながら僕を見て、
「オレは答えッたぞ、今度はてめェだ」
「あのメス、どこにやったんだァ?」
僕は目を閉じて、集中した。
「…もういねぇよ」
これで最後だと悟っていたから。
「あァ?死んだのか?殺したのかァ?」
集中して、全身にそれを感じた。
これは久々の、力の感覚。
「彼女は生きてる。殺すはずない。生きてくれさえいれば…それでいいんだ…」
覚悟を決めて、僕は2階から飛び降りて、男の目の前に着地した。
「よッく分かんねぇが、オレと戦ってくれるってことで、いいよなァ!?」
威勢のいい獣は、降りてきた僕にいきなり殴りかかってきた。
僕は久々に感じる力にまだ少し慣れず、男の攻撃を避けることしか出来なかった。
「てッ…めェ!!」
「なんで当たんねェンだ!!?!」
馬鹿の一つ覚えみたいに同じパターンの攻撃を繰り返す獣の男に、僕は段々と力の感覚を取り戻していった。
「…攻撃が単調すぎるから」
避けながら、僕はそう答えた。
すると癪に触れたのか、爪を伸ばして切りかかってくる、と見せかけて牙を出し、僕の首元を狙って飛びかかってきた。
僕はそれをも避けて、男はガルルルと不服そうに唸っていた。
「避けてばっかでつまらねェなァ!!」
「お前が強いって言うからわざわざこの街に探しに来たンだ、戦えよオラァ!!」
言葉をかわせる獣は言葉で吠えてくるので、面倒だと思った。
けれど僕は、せっかくならと自分を試すつもりで戦う覚悟を決めた。
パッと開いた僕の目を見て、獣は少し嬉しそうに唸った。
「いい目になったじゃねェか……!」
そう言って笑ってから、僕に再び向かって来たので、僕は男の腕に思い切り、透明な釘を刺した。
「ッ!?!」
男は痛みと驚きで大きく飛んで後ろに下がった。
「ッてめェ!!何した?!」
獣は、いちいち吠えてうるさい。
攻撃一つ一つにこんな反応をされては面倒なので、僕は悪い顔で笑って、
「攻撃」
と短く答えた。
男は見えない釘の痛みを忘れたように、
いいねェ…!いいねェ…!と興奮気味に笑っていた。
向かってきたその男の間合いを詰めさせる間もなく、僕は透明な銃を手に持ち、男の手、足、膝に向かって撃った。
「…バン、バン、バン、バン……」
淡々とそういう僕を不思議に思いながらもこちらに向かってくる獣は、唐突に、手の甲、足、膝を銃弾がかすった感触に再び後ろに引いた。
「てめェの戦い方…意味わかんねェなァ!」
長引かせてはいけないと、僕は透明な銃で排水管を打ち、獣との間に水たまりを作った。
「流石に水にはビビらねぇよ!!」
そう笑ってまんまと水の上を走って来る獣に向かって、透明なスタンガンを放り投げた。
獣の男は勢いよく感電し、体の身動きを奪われた。
「殺さないようにするの、面倒だ」
苦しみ喘ぐ男を見て、僕は呟いた。
絶叫する声も静かになり、そろそろ終わり時かと思って、スタンガンを消失させた。
男は水の上に倒れて、髪が少し焦げていた。
「…何で、全部、…見えねェン…だ…」
指先ひとつ動かないほど痺れているはずなのに、その獣は喋り、聞いてきた。
「まだ口が聞けるのか…」
僕は面倒に思い、もう一度スタンガンを思い浮かべていると、男は、
「答ェ…ろ!!!!!!」
と凄まじい声量で聞いてきた。
どうせ最後なのだ。
僕の中でそんな思考が過ったせいか、僕は男に説明を始めていた。
「…見えるわけないよ、僕にしか」
「どうやッ…て…透明に…」
「透明にしてる訳じゃない。これは僕にしか見えないだけ」
「僕が機能を知っていて、なおかつ扱える、そういうものしか"具現化"出来ない」
「例えば、手裏剣や毒とか」
男は麻痺した体を動かそうとしていたが、表情で驚くので精一杯のようだった。
「具現化ァ……だァと……!?」
「うん。この街で、知らない人はいない。僕はあの家で昔から、そうやって育てられた」
「暗殺者になれと、育てられた」
男はそのあと、何も言わなかった。
.
暫くの間が空いて、男は体の麻痺が少しづつ解けたようだった。
「……なァンだ」
腕が動くようになった頃、沈黙していた男がようやく口を開いた。
「…てめェ、ファイターじゃなくてキラー…だったのかァ」
何か納得したようで、男から敵意は感じられず、爪も短くなっていた。
すっかり人の姿に戻っていた。
「チッ…まッだピリピリしやがる」
獣の回復力は恐ろしく早く、1時間も経っていないのに、もう立ち上がっていた。
「…まだ戦う?」
僕は一応警戒する姿勢を見せると、男は背中を向けた。
「オレが戦って勝ちてェのはファイターだ!てめェみたいに卑怯な武器ビュンビュン振り回す奴ァ、オレは戦いたくねェ」
そう言うと、背を向けたまま僕に何かを投げてきた。
「ファイターと勘違いして追い回した詫びだァ、そンな場所くらいくれてやる!」
僕はキャッチして見ると、鍵が2つ付いた、
虎か何かの獣のキーホルダーだった。
あの畳の休憩部屋にあった布団の匂いと、その鍵の匂いは、同じだった。
「いつかてめェが武器以外で戦えるようになったら戦ってやるよォ!」
どこか楽しそうにそう言って、獣の男は工場から去っていった。
.
僕は、鍵を握りしめた。
これを勝ちとカウントしていいものか、しかし彼女を隠し守りきれたのだ。
これは、勝利と言っていいだろう。
僕は彼女の待つ小屋に急いで戻り、扉のノブに手をかけた。
瞬間、目の前が180度回転したような、酷い目眩に襲われた。
世界がぐにゃりとねじ曲がるような、強制的な力に引っ張られた。
「まっ……せめ…て……」
僕は吐きそうな視界の中で、やっとの思いで扉を開けた。
けれどもう1歩も足は動かず、せめてもと、
鍵を玄関に放った。
どんどん、どんどん、引っ張られる。
ここではない場所に連れ去られる。
戦う前に、悟っていた。
分かっていたことだったのに。
今更、僕は、
もう一度彼女を、抱きしめたかった。
──
酷く鉛のように重い体を起こす。
布団を剥ぐには肌寒い寝室で、ぼうっと暖かい感覚がした。
彼女がぎゅっと抱きついた左腕だけが、まだその温もりを残していたような気がした。
気まぐれな愛おしさに、心はまた疲弊した。
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