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【徳島の右下生活】#34日目 おかえり😊

AM8:00~9:00 漫画”宇宙兄弟”25・26巻

ついに六太、宇宙へ…!

と、この辺の話は今日はいらぬ。さっさと本編へ。

AM9:00~11:00 退院→お祓い

おかえり😊

約1か月の時を経て、ついに帰ってきました。
病院へお迎えに行くけど、「昨日会っててまた会う」みたいな感覚と、1か月1人と1匹で過ごしてきたんだという実感の2つが内に存在し、どちらかというと当たり前のようにまた会えると信じていたから、「ひ、久しぶり~、、。」みたいな感じになった。
今会えてる人といること、居たい人と居ること、大切な人と過ごせていることは本当に幸せなこと。それ以外何も求めない、と離れている時はすごく思ってた。それはこの4・5月もそうだったし、それがまさか6月も全く会えなくなるとは思わなかった。だから、それまで会えてた時間は、「一緒にいるんだ」という感覚をお互い大切にしてきた。
一緒にいない時の時間はものすごく長く、何をしても欠けていて、心ここにあらずで、なんとか持ち前の集中力の120%で目の前に打ち込み、現実逃避ならぬ妄想逃避をしていた。この1か月もそう。生活に馴染ませるようにお寺バイトに打ち込み、午後は畑や起業の勉強に打ち込んだり、何もしたくないと漫画ばかりあさってた。治してやれないどころか、痛みをわかってやれない、本人の気持ち、今何してほしいとか何がほしいとか想像つかない。祈るしかできない無力感。何に?神様は信じてない。仏様?は輪廻転生、苦行の一つか?慈悲をこの1か月の中で学んだけど、愛を伝えることも直接できない。ただ、今あることを今するしかなかった。その点お寺バイトはよかったと心底思う。
そして今日、念願の。念願のである。退院、帰宅をしてくれた。まだ通院とリハビリは続くものの、帰ってきた安堵感は本人にも、待っていたこちらにもある。よく帰ってきてくれた。生きててくれてありがとう。

あの時、もしかしたら命を落としていたかもしれない。
いつかに話した「(離れて・死んで)もう会えないことも可能性としてはあるよね。」俺がそんな言葉口にするものだから、お互いゾッとして、でも本当にあるかもしれなくて、だからこそ、「今」がどれだけ重要かがわかる。2人ともそれを重々、心の底から分かっってる(つもり?)。だから、今日こうしてまた会えたことが本当にうれしい。

犬はずるい🐕

嬉ションしてた。しっぽぶんぶん振ってた。顔ぺろぺろ舐めてた。
……😑 羨ましい。俺だってそれぐらいのテンションだよ。体で表していいのなら思うがままにするよ。
理性が邪魔をしてる。人の目を気にしてる。したいことをする、今を生きることが使命なのに、なぜしない…。なぜできない…。
でも2人になっても得にめっちゃ喋らず。いや、「一緒にいる」ことを感じてた。「そこにいる」ことを感じて心のしっぽを振ってた。
帰ってこれてほんとによかった。あえてよかった。生きててよかった。

相手にも自分を失ったときの気持ちにはなってほしくない。残された側の方が辛いのかも。(今回は本人の方が相当辛そうだったけど…。)
でも、起こるだろう。この先。
仏教は欲・執著を捨てること、我をなくして慈悲の心で奉仕することを目指す。大切な人、一緒にいたいと思うことも欲なんだよな。それを持つから失う時に苦しくなるのはわかる。それでも、そう言われても、居たい人と居たい。一緒の空間時間を過ごしたい。それもダメかn?

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