”丁寧な暮らし”ってどんな生活?
私の憧れる生活=”丁寧な暮らし”
いつもこう言っているけれど、どんな生活だろう?
朝ハンドドリップでコーヒーを淹れること?植物に水をあげること?
当たり前のように使っていた、この抽象的な表現を改めて考えてみようかな、とふと思い、書いてみています。
いつもはだいたい文章の構想があるけれど、今回は割とぶっつけ本番。書きながら一緒に考えていきたいと思います。
01.辞書より
まず、表現の意味を考えるときは、その言葉についてあらゆる方面から考察している辞書からヒントを…
なるほど。
注意深く心がゆきとどくこと、か。
って、つまり…?
02.注意深く
ここからは私の解釈。
暮らしに注意深くなる、ということは、「生活の小さな出来事までに気を遣うこと」?
例えば、食器を片付けるとき、適当に乾かして戸棚にポイっじゃなくて、しっかり水気を拭き取って元の位置に戻す。
こんな小さなことも、何も考えずに生活していたら気にも留めないこと。
でも、この小さな一つに気を遣うだけで、次食器を使う自分に優しくできる、素敵なこと。綺麗に並べられている食器にうっとりするし(言い過ぎ?)、綺麗な食器で美味しいご飯が食べられる。
「めんどくさい」
この一言で片付けられがちなことに少し気を遣うだけで、小さな優しさ・幸せにつながるみたい。
めんどくさい、はその一時の感情。一回手をつけてしまえば、案外簡単なこと。
この「めんどくさい」をなるべく少なくする、そんな生活が一つ、”丁寧な暮らし”の意味かもしれない。
03.心がゆきとどく
心がゆきとどく、ってあんまり普段使わない表現。
でもきっとすごく考えられた表現なんだろうな。(私がそれをうまく解釈できるかは別として…笑)
注意深くなる、のは「心」「気持ち」というより、どちらかというと「意識」の問題な気がする。
一方で、暮らしの中で心がゆきとどく、ということは、注意深くなった後、もしくは前の「心」の問題。小さな出来事に気を遣う、だけでなく「それらの小さな出来事に幸せだったり感情を細かく感じ取れること」なんじゃないかな。
さっき取り上げた、食器の話。次食器を使う自分が感じる気持ちよさだったり、ちょっとした幸せ、この小さな感情を自分なりに読み取って、自分の幸せ・蓄えにつなげる。
こんな風に暮らしの節々に「心」を忘れずに持てること、が”丁寧な暮らし”の一つの要素なのかも。
04.私なりの”丁寧な暮らし”
と、ここまで辞書から”丁寧な暮らし”を解釈してみたけれど、私なりの考えも一つ加えて、私の目指す”丁寧な暮らし”を考えてみる。
その私なりの考え、とは。
注意深く心がゆきとどく。この暮らしをするための大前提の話。
心の余裕を持つこと。
切羽詰まっていたら、小さな出来事になんて気づきもしないし、感情を読み取る余裕なんてない。
心の余裕、も人それぞれ。時間の余裕、仕事・友人関係の充実…人によって心に余裕ができる条件はきっと違う。
ちなみに私にとっての条件は、時間の余裕が多くを占める。やりたいことを自由にできる時間がどれだけあるか、自分と向き合う時間がどれだけあるか、が私の心の余裕に大きく寄与している。(←この「余裕」についてもいつか書きたいな)
心の余裕をつくるって言葉で言えば簡単だけど、実際やるとなるとめちゃくちゃ難しい。私の人生における課題の一つと言っても過言ではないくらい。
でも、一つだけ心の余裕を持てるちっちゃなヒントを知っている。
それは、耳にタコができるぐらい皆さんも聞いたことがあるかもしれないけれど、
深呼吸。
ただ、昔からよく言われているからこそ、すごく効果があって、頼りになれる一つのお守り。余裕がないな、と思った瞬間、立ち止まって深く息を吸ってみる。新しい命が入って、余裕のなさは逃げていく。
この小さなお守りを手に、理想の暮らしへと歩んでいきたい。
これが今私の考える”丁寧な暮らし”ってとこかしら。
本日も読んでくださってありがとうございました。
皆さんの幸せな生活のヒントとなりますように。
また遊びに来てください!