
都会の中心で、どうぶつの森の住人として生きていく
お久しぶりです、おっちーです。
最後にnoteを書いたのは2年前、ずいぶんと時が経っていました。
しばらくの間、みなさんの人生も大きく変わっていたり、変わっていなかったり。いかがお過ごしでしょうか。
私はというと、京都で一人暮らしを始めてから、そろそろ1年が経ちます。
よく、京都の暮らしには慣れた?と聞かれますが、うーん、慣れたのかなぁ…。いつも回答に迷います。
賃貸を探す時に、できるだけ自然がある場所を選んだのですが、それでも28年生きてきて、今まで住んだことのある場所の中では一番都会だと思います。
ちょっと歩けばおしゃれなカフェや雑貨屋があり、楽しそうなイベントが開催されている。
交通の便もいいので友達に会いに行きやすく、京都に住み始めてからは、毎週のように出かけていました。
特に、ここ3ヶ月はたくさん予定が入っていました。
どれも自分が立てた予定なので自業自得なのですが、それなりに今の暮らしを楽しむ反面、疲れを感じるようになりました。
そこで、やっと気づいたのです。
私は都会に向いていないということを。
あれもやりたい、これもやりたい。
あの人にも会いたい、この人にも会いたい。
興味をもったことには片っ端から飛び込んでしまうけれど、本当はひとつひとつ感じたことを、しっかりと立ち止まって味わいたい。
そんな私にとって、なんでも揃っている京都は刺激的で楽しい場所でもあるのですが、感情の整理が追いつかず、疲れてしまう場所でもありました。
次々とやってくる出来事に、必死に食らいつく毎日。
本当にやりたいことや、今自分が考えていることがわからなくなってきていたところ、ふと、香川で一人暮らしをしていた時のことを思い出しました。
私は、街の中心から外れた場所に住んでいました。
そこは、近くに目新しいお店やイベントがあるわけでもなく、今まで仲良くしていた関西の友達とも、簡単に会うことはできないようなところでした。
それでも、お気に入りのお店でパンとコーヒーをテイクアウトして、公園で絵を描いたり、いつもの友達と、仕事終わりに河川敷まで車を走らせて、夕陽を見に行ったり。
ちょっとした出来事が嬉しくて、穏やかな気持ちで毎日を過ごしていたことを覚えています。
今思うと、私は香川での暮らしが合っていたのかもしれません。
以前、友達に「おっちーって、どうぶつの森の住人みたいだよね」と言われたことがあります。
同じ時間を過ごしているのに、それぞれに流れている時間のスピードが違う。
私はいろんなことをやりたくて生き急いでいるけれど、おっちーはひとつの出来事を十分に味わいたいのか、のんびりとしている。
どちらの方がいいというわけではなく、一長一短だよね、と。
そう。私は、着る電気毛布を手に入れた喜びでさえ、10分以上語りたいような人間なのです。
あれもこれもと手を出して、やりたいことに追われている場合ではありません。
そうこう考えているうちに、今は都会の中心に住んでいるけれど、ここは香川だと思って、スローペースで暮らせばいいのではないかと思うようになりました。
2月は、友達の家で編み物をしたり、一緒に山へ登りに行ったり、母を家に招いて、ぜんざいを作ったりする予定です。
そろそろ家の近くの商店街へ、小豆でも調達しに行こうかしら。
私の周りの人と出来事を十分に愛せるように、これからもどうぶつの森の住人として生きていこうと思います。