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白壁と金魚ちょうちん、国木田独歩の故郷・柳井に行く旅〜柳井

※2024年11月の内容です

毛利くんと一緒に、金魚ちょうちんの町・柳井にやってきました



金魚ちょうちんの可愛さに心奪われて早3年
やっと会いにこれました
金魚ちょうちんの町、柳井

早速、柳井駅で金魚ちょうちんがお出迎え

今回はあまり時間がありませんでしたが、目的の白壁まちなみに泳ぐ金魚ちょうちんを主にみてきました

金魚ちょうちんとは?


このかわいいちょうちん、柳井の民芸品の「金魚ちょうちん」といいます
かわいい
青森の金魚ねぶたが元になっており、はるばる西の山口でこの形になり、受け継がれているそうです

金魚ちょうちんの由来
幕末のころ、今からおよそ150年の昔、柳井の商人が子どものために青森県弘前市の「金魚ねぷた」にヒントを得、金魚をかたどり、伝統織物「柳井縞」の染料を用いて創始したと言われています。夏祭りを迎えると、子どもたちは浴衣を着てこのちょうちんに火を灯し、宵の町へと出かけていたそうです。土地の人々に親しまれ、受け継がれ、戦後独自の技法を加えて、今日の美しい金魚ちょうちんが完成しました。

https://kawanokk.co.jp/kingyo/kingyo.html
金魚ちょうちん、青森の廣田神社のお守りだよ

去年の夏に青森ねぶた祭りに行ってきたため、青森の廣田神社のお守りと会わせてみまたした
君のご先祖様だよ


↓↓金魚ねぶたの故郷・青森のねぶた祭りはこちら

また染料に使われている「柳井縞」
伝統的な木綿織物で、小物や着物に使われています


柳井の歴史


●般若姫伝説

まず「柳井」という地名の由来
この周防の地には「般若姫」伝説が伝わっており、そのお話からきているのだそうです

ある日、般若姫はひどい病に倒れました。この病を治すための難題をこなすことができそうなのは山路ただ1人でした。山路は無事事をなし終えたあかつきには、姫と結婚したいと長者夫妻に願い出、病が治るならと承諾した長者夫妻の目前で見事姫の病を平癒させました。
実はこの若者の正体は時の欽明天皇の第四皇子でした。皇子は都にまで届く般若姫の噂を聞いて、ぜひとも后にしたいと思い、誰にも告げず、1人豊後の国を目指してやってきたのでした。
若くたくましく、気高い雰囲気をもつ山路に、長者夫妻はついに結婚を許し、般若姫と山路は幸せな日々を過ごしました。

https://www.town.hirao.lg.jp/gyosei/gaiyo/rekishi/1457169485821.html

この昔話の前半、般若姫の両親の物語が、昔話の「炭焼き長者」と同じストーリーのお話になります

昔、豊後の国満野長者の娘、般若姫が、 後の用明天皇である橘豊日皇子にむかえられて京に上る途中立ち寄った井戸でのどを潤したところ、その傍らにさした楊枝が一晩で柳の大木となったという伝説がのこされています。

https://www.city-yanai.jp/site/kanko/hannyahimedensetsu.html
井戸の横に柳の楊枝をさす般若姫
萩原克則作「般若姫」絵本
しらかべ学遊館にて閲覧できます

この般若姫が井戸の横にさした、不老長寿の柳の楊枝から「柳井」の地名がついたとのこと
現在、柳井市の市章にも採用されています

ちなみにこの皇子様・後の用明天皇は聖徳太子のお父さんです
聖徳太子のお父さんの時代までは古墳時代なんですね…なんか聖徳太子のイメージ強いから飛鳥時代な感じしますが
最後は用明天皇に再会するため奈良の都に向かう般若姫ですが、航海の難所・大畠の鳴門に住む龍神の怒りを鎮めるため海に身を投げます
その姫を祀るお寺や神社が南周防や周防大島などのあちこちにみられます

この般若姫ゆかりの地は、南周防地域のあちらこちらにみることができます。たとえば、金の龍が棲むといわれる「大畠の鳴門(柳井市)」や、用名天皇が愛する姫を弔うために建立したとされる「般若寺(平生町)」、旅の途中で姫が水を求め、そのお礼にと姫が一本の柳の枝を井戸の傍らに挿したところ、一夜にして巨木となったという言い伝えのある「湘江庵の柳と井戸(柳井市)」などがあります。

https://www.maff.go.jp/chushi/kj/suou/3/column1.html


●古墳時代から江戸時代まで

そんな古墳時代の伝説を裏付けるように、古代から柳井周辺には古墳がたくさん作られています
そのうちの一つ、茶臼山古墳が柳井の町にあります

平安時代には三十三間堂で知られる蓮華王院の荘園として栄え、室町時代には大内氏の重要な港として瀬戸内海の舟運を利用した町が形成されていました
江戸時代からは岩国領の一部として吉川家が治め、1601年には柳井から有力商人を岩国城の城下町・柳井町に移住させていることから、その当時には柳井に力のある商人がいたことがわかります
その後も幕末まで「岩国吉川領の御納戸」と呼ばれ商業の町として発展します

↓↓シロヘビと錦帯橋の城下町・岩国の旅はこちら


当時の古地図をみると…
現在の柳井港よりずいぶん内陸側に港があったようですね
瑞相寺のところあたりから港があった様子
今のお散歩広場のところが港町や船着場のような感じだったのでしょうか?

引用:https://m.stroly.com/yamaguchi/i#1539060871

↓↓今の地図に昔の港の様子を書き込むとこんな感じ?
赤線が川〜港のエリアになります

引用:http://kanko-yanai.com/y_wp_root/pamphlet/

※山口県の主要な都市の古地図が見れるサイト
古地図を見ながら街を歩いてみるガイドツアーもあるとのこと
歴史好きにはとても面白いイベントですね

白壁の町並みは、江戸時代の元禄時代以降の典型的な町屋造りの町並みで、中世時代の商業都市の街並みをよく残しているエリアだそうです
当時の特産品はは菜種油、蝋、木綿、醤油など
今でも木綿→柳井縞、醤油→甘露醤油など、地元の名物として残っています

麗都路通り


さて、柳井駅からまっすぐ伸びるこの通り「麗都路通り」
その名のとおり、煉瓦造りの建物がならび明治や大正時代の雰囲気があります

みずほ証券 柳井支店
昔の柳井駅の様子
この他にも麗都路通りには昔の柳井の様子が書かれた絵が飾られています

昔ここにあったのが、周防銀行本店
山口県で一番最初にできた銀行で、今はその建物は町並み資料館として利用されています

周防銀行本店をモデルにした郵便ポスト

また交差点にある煉瓦造りの建物、オルゴールの館
30分に一度オルゴールが演奏されます
毎日オルゴールの音が響くってなんかおしゃれだなあ

「オルゴールの館 グリム」

本橋を通り、柳井川を渡ります
昔はこの川が舟運の重要なルートになってたんですね

本橋近くにある小さな公園
こんなところにも金魚ちょうちん
お散歩広場

先ほどの地図を見ると、この辺りが港町の船着場になるようです

暗くなって灯りがともると、さらに昔の川港の風情が出ますね

湘江庵


柳井の地名のもとになった伝説の地
般若姫がお水を求めたのが、こちらの湘江庵
今も柳の楊枝から育った柳の木があるのだそうです

般若姫の柳と井戸の水

こちらがその柳と井戸
二つ合わせて「柳井」になったわけですね
お水は澄んでいてとてもきれい
柳の木はもう6代目だそうですが、立派な木に育ってますね〜

水質検査中でした

水質検査中の札かかっとる
2023年3月ぐらいから井戸の不具合による検査や復旧がされているようですね

境内には「七つの子」「赤い靴」で有名な野口雨情や江戸時代の浮世草子作者の井原西鶴の碑もあります
あちこちに文人の足跡がある町だなあ

この近くに流れる川・姫田川
地区名も姫田
古墳時代からの名残がずっと残っていると考えるとすごいなあ

姫田川


柳井市街並み資料館


こちらが先ほどの郵便ポストのモデルになった旧周防銀行本店、現在の町並み資料館です
明治40年につくられ、1階には白壁の街並み模型を展示、2階は柳井出身の歌手・松島詩子の記念館になっています
幸せを呼ぶと評判の金色の金魚ちょうちん「お鐘金魚」もこちらにいるそうですが…
…残念ながら本日はお休み
またの機会だなあ

建物は元周防銀行本店

資料館の前には、柳井に縁のある国木田独歩の像があります
まだお髭がありません
柳井にいた22歳ごろの姿のようです
若いわけだ

謎に文字が踊っている看板の説明

20歳から22歳(明治25年(1892年)~27年(1894年))の間は、山口県の柳井市で過ごし、柳井市の「白壁の町並み」にある旧宅には、独歩が愛用していた机や、月琴などが納められ、閑静な佇まいは、今も当時の雰囲気を残しています。この国木田独歩旧宅は、外部の見学は自由で、庭から窓越しに邸内を見ることもできます。
また、彼の作品である『置土産』や『少年の悲哀』は、柳井を舞台にしたものです。

https://www.maff.go.jp/chushi/kj/suou/3/column8.html


国木田独歩旧宅


そんな国木田独歩が住んだ家がこちら
ちょっと坂を登ったところ、昔ながらの細い路地を行ったところにあります
お庭もあるお家なんだなあ

中には入れないようですね…
外から展示パネルを見る感じでしょうか?

玄関前にある独歩の碑

国木田独歩にとっては第二の故郷であったらしく、また「置土産」や「少年の悲哀」の舞台やモデルと出会ったところもこの柳井になります
隣町の田布施町も小説の素材になっているようで、とてもこの地域が気に入っていたようですね

光台寺楼門


文学に関わりのあるところはこれだけではなく
もう少し坂を登ったところにある光台寺も小説の舞台となっています

光台寺楼門

それはそうと竜宮城の門みたいだね、毛利くん
トンネルのような門の下で手を叩くと「ワンワン」と響くため「ワンワン寺」とも呼ばれているとか
…やってみようと思いましたが、ちょうど敷地内が工事中のようで、手を叩く音も何もわからなそうでした
どうも2024年3月にここにあった幼稚園が閉園となったため、そのための工事かもしれません

その幼稚園に勤めていた、いぬいとみこの作品「光の消えた日」
この主人公・朋子が務める幼稚園がここにあった幼稚園になります

1945年8月6日,山口の小さな保育園で保母をしていた朋子は,子どもたちと見た「閃光」の意味を知らなかった….戦時下での子どもとの触れ合いや,戦後「生き残ってしまった」人々の苦悩を描く.

https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b255363.html
光台寺楼門からみた柳井市内

「光の消えた日」の碑は市内にもう2つあり、物語の一節が書かれています
…こんなところまで広島の閃光が見えたのか…
同じ市内なのにオルゴールの館のメロディもここまでは聞こえないのに、あの日の閃光は届いたとか…どれだけ破壊力のあるエネルギーだったのかと思います
もう同じことが起こらないよう願います


またこの他にも柳井は様々な作品の舞台になっているようです

観光案内所のある白壁ふれあい広場には、松本清張の碑があります

松本清張「花実のない森」の碑
引用:https://sirakabe.com/wp-content/uploads/2023/09/yanaishosetsunobutai.pdf
引用:https://sirakabe.com/wp-content/uploads/2023/09/yanaishosetsunobutai.pdf

いろいろなミステリー小説の舞台にもなっているんですね~
今度は文学ゆかりの場所を回ってみるのもいいなあ

白壁の街並み


そんな文人たちに愛された白壁の街並み
瓦葺の屋根と漆喰の壁の建物が並んでいます

この特徴的な町並みになった理由は、防火対策
柳井の町は、江戸時代に「四大大火」と4回も大火事で焼け出されており、1768年の大火では180軒が消失するなど大規模な被害が出ています
そのため家屋や商品、家財を守れるように耐火性の高い土蔵タイプの建物が作られるようになったそうです
見た目だけじゃなく実用性重視の町並みなんですね

商家の間の掛屋小路
掛屋小路に残る排水溝

船で届いた荷物はここの道を通って各お店に運ばれたのか〜今見ると狭く感じますが、そもそも町割り自体は中世に整備されたもの
排水溝までそのまんま残っている、現役の町並みだそうでとても珍しいエリアだそうです

●宝来橋・愛宕地蔵尊

柳井でも一番古い橋、宝来橋
この周りにある石垣は300年前の港の史跡が残っています

宝来橋の名前の由来は「商品は宝物で、その荷が来ることによって町が富む」から来ているそうです

今の宝来橋
元は石の橋だったようです

宝来橋の袂にある愛宕地蔵尊
柳井の町は江戸時代、4回火災に見舞われ現在の瓦葺きと白壁の土蔵の町となりました
町並みを防火対策する一方、ここに愛宕地蔵尊を祀って火事が起きないよう祈っていたそうです
柳井の人々の心の支えになっていたのでしょうね
今でも毎年8月24日に供養が行われているそうで、地域の人々に親しまれているようです

川に向かって作られている階段は「雁木」
海の満ち引きで水位が変わるため、水位が変わっても荷物を引き上げやすくなっているそうです

雁木や沖見灯篭が並ぶ川べり

さて通りに戻りまして…
メインストリートには今も風情のある町並みに様々なお店が軒を連ねています

手前のお店は「木阪賞文堂」
金魚ちょうちんのグッズを取り扱っている文房具屋さんです

かわいい

この他にもいろんなお店が並んでいます

どのお店も軒先には金魚ちょうちんが泳いでいます

●国森家住宅


通りの中頃にあるのは、国の重要文化財に指定されている国森家住宅
鬢付油など油を取り扱っていたお店で、豪商ぞろいの柳井津でも大きな商家だったそう

引用:https://www2.panasonic.biz/jp/solution/report/archi/vol12/adr12_19_20.pdf

火を防ぐ他にも、万が一強盗が来た時の避難場所や隠し扉などもあり、防火・防犯を考えて作られています
内部の見学は予約制(10日前までに要予約)
…だったようですが、コロナが流行してからは休館中とのこと
いつか中の様子を見れる時がくるといいなあ

●しらかべ学遊館


町並みの途中にあるしらかべ学遊館では、柳井の歴史や当時の暮らしの様子が展示してあります

吉田松陰や久坂玄瑞とも親交のあった勤王の僧・月性の紹介パネル

郷土の偉人たちのお話は紙芝居にもなっているんだねえ
先ほどの「般若姫」の切り絵も、こちらの学習室で見ることができます
地域史や伝統文化に関する面白そうな本がたくさんあって、丸一日いても飽きない図書室のような空間でした
詳しく柳井ことを調べたい時には、こちらに来るのもいいかもしれません

●季節の金魚ちょうちん


アキモト洋服店の軒先には、季節の金魚ちょうちんが飾られています

今日は紅葉バージョンの金魚たちが泳いでますね


尻尾までかわいい

この他にも桜や鯉のぼり、ハロウィンバージョンがあるようです
かわいい

夏の「金魚ちょうちんまつり」の季節には、通りのすべての金魚に灯りが灯るようです
お祭りも見てみたいなあ

●やない西蔵


そんな金魚ちょうちん作り体験もできるのが、こちら「やない西蔵」

もともとは醤油作りの蔵だった内部には、たくさんの金魚ちょうちん!
カラフル〜

金魚ちょうちんの製作過程

こちらでは柳井縞を織る体験もできるようです



我が家にも金魚ちょうちんをお迎えしました
かわいい
金魚ねぶたと並んでそよそよしています

ねぶた先輩とちょうちんの後輩

今回はいくつかの資料館の休館日だったり
時間が限られていたりして駅中心部のみでしたが
今度は茶臼山古墳や大畠の渦潮など、古代から関連する柳井の名所も見てみたいです

湘江庵の御朱印

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