一重
今日、また少し自分に近づいた。
一重を気にし始めたのは小学校高学年。
当時、わたしは初恋をした。
こんなに誰かを好きになることが
これからあるのかって思うくらい
その人が好きだった。
授業中も給食の時間も
気がつくといつもその人を見つめてしまっていた。
ある日、席替えで偶然隣の席になった。
その人がわたしに発した第一声は
「 ずっと思ってたんだけどさ、○○って俺のこと嫌い?笑 」
だった。
開いた口が本当に塞がらなかった。
よくよく話を聞くと
ずっと睨まれてると思っていたらしい。
その言葉のおかげで誤解を解くことができたのだけど
何とも言えない気持ちだった。
同時にあまりの衝撃のせいか
あんなに好きだった気持ちが何事もなかったように
消えてしまった。
これが一重を気にし始めた発端だった。
それからは自分が意識し始めたからなのか
睨んでいると誤解される出来事が増えていった。
それもすべて異性からの誤解だった。
年頃の女の子には少しきつい出来事だった。
中学生になるとき
初めてアイプチの存在と
韓国では整形が身近なことを知った。
当時は流石に整形はできないと諦めて
ドラッグストアでアイプチを購入した。
お母さんに怒られるかもしれないと思いながらも
アイプチをしてとりあえず反応を見ることにした。
わたしの目の変化に気づいたお母さんは
怒らなかった。
瞼に負担をかけるのは良くないと言われたけれど
お母さんも中学生の時アイプチしてたんだよねと
カミングアウトをされた。
予想してもみなかった。
なぜなら今お母さんは綺麗な二重をしているから。
お母さんはそれから高校生になってからも続けて
待望の二重を手に入れたらしい。
わたしはそれから堂々とアイプチをするようになった。
それから八年。
アイプチを続けたけれど二重になることはなかった。
そして二十歳になった時。
埋没をしようと思い立った。
しばらくはその気だったのだけど
一重を受け入れることができたらどうだろうとか。
一重で生まれてきたことに遺伝のほかに理由があるとしたら?とか。
一重に対してポジティブに考えようとする自分が出てきた。
この根底には
自分を偽って人と関りたくないとか
自分の容姿に肯定的でいたいとか
自分のコンプレックスを愛せる人って素敵だよなとか
そういうのがあった。
そこからは
周りじゃなくて自分に完全にフォーカスが向いた。
わたしの良いところや魅力的なところは
一重か二重かでどうにかなるものじゃないんだと
本当に信頼関係を築ける人や大切な人たちは
言ってしまえば
わたしが一重だろうと二重だろうと関係ないんだと
心からそう思えたら急にどうでもよくなった。
八年は長かったなという気もするけれど
ここに落ち着いたのは
とっても自分らしくてなんだか笑える。
今週
新しいアルバイトの面接に行く。
一重で人と関わるのは
まだ少し慣れないところがあるけれど
自信につながればいいなと思う。